NEON PROJECT
>>>>>蛍光黄緑のスライム状のぷにぷにドロッとしている携帯電話が深夜の二時に僕を呼んだんだ。
着信音は黒猫の鳴き声
電話の向こうで
いつも女の子を鳴かせているあいつが
声を振るわせながら言った
「蛍光の透明色した夜光虫が内側から怪しく光り出したんだよ」
だから僕は、それをどうしても見たくてそこに
行くしかなかった
「わがまま堂」HISTORY-
元々は
大阪の服屋「我が道(WAGADO)」の遊樹氏が
少年時代(16歳〜18歳)に
地元鳥取県米子市でやっていた
合法ドラッグ&
大人のオモチャ
&パイプ、ボング
&もろアンダーグラウンドな良質なCDを中心に、様々なCDや音楽、
&無国籍な雑貨
を取り扱いする
雑貨屋。
わがまま堂は商店街
『元町サンロード』に
あった。
わがまま堂の
大きい入り口の扉には、よく見ると、
『クソガキは入店お断り』
『かわいい子は注意して入ってくるように』
『盗んだやつは地獄を見れる。挑戦者、盗んでみろ』
とブラックジョークが殴り書きしてある
紙が張られ、
様々な
ライブやイベント、
パーティーの
フライヤーや
ポスターが
店の外の壁中に張られ、
大きいガラスの重たい
扉をあけ中に入ると
ろうそくとお香の混ざったいいにおい、店内は薄気味悪く、でもどこかPOPで、様々な雑誌の切り抜き、ポスターなどが張ってあり、アングラで、爆音、
何でもアリなノーボーダレスな様々な音楽が流れ、ハードコア、ヒップホップから、アニソンやJ-POPやジャズ、テクノ、ファンク、エレクトロニカ、メロコア、スカ、パンク、ビジュアル系、レゲエ、サイケ、本当に毎日、音楽までも何でもアリで、意味もなく訳もなく無駄に爆音で流れ、
割れた鏡には
『ブスが見たら割れるのでご注意』
とブラックジョークがダンボールに殴り書きされ、店内には、
人生に対しての疑問や答えのかかれたメッセージがそこら中に張ってあった。
いつも店の外では
激しいファッションの奴、ただのヤンキー、
暴走族、ギャング、
スーツ姿のサラリーマン、古着屋の店員、
彫り師、スケーター、
女子高生、クラブキッズ、バンドマン、ラッパー、近所の小学生、さぼって来た新米警察官、グラフティー集団、キャバ嬢、スト系ショップのにいちゃん、
など様々な人種が
毎日の様に入り混じって、
店の前にある一つのドラム缶を囲ってトランプでいつも、毎日、金をかけてのギャンブルをしていた。
もちろん外も爆音。
テレビも外にあり、
AVや過激なライブ映像、B級映画、などが
いつも流れていた。
様々な奴らの
『HOME』であり
溜まり場であった。
好き放題やっていた
雑貨屋
『わがまま堂』
90年代後半から2000年
前半、世界中でどこの誰よりもアングラな米子の奴らから愛された
わがまま堂は確かに目の前にあった。
何でもアリで、
いつも笑って、
いろんな奴を巻き込んで。
その後、当時18歳の
遊樹少年は
もっと『何か』をする為に大阪へ。
あれから時が立ち、
そして
少年時代から
様々な人に出会い学び、改心した
遊樹が、思い出話
を語っていた
我が道にいる人々とテンションが
あがり
そのまま共謀し、
再び大阪の思い出の
場所へ
新しい『わがまま堂』を創ろう
新しい遊びをしよう
遊べる事をしよう
じゃあ、
『SEX&MONEY』を!!
という事になりました。
『SEX&MONEY』
子供心を忘れれない大人達、子供心を忘れたくない大人達、大人になりたくない子供達、新しい大人を創りたい子供達、
集まってください。
僕ら、itazuraproductionに期待してください。
ワクワクしてください
ドキドキしてください
人生は長いけど
一瞬です。
人生は長いけど
永遠じゃありません。
永遠を
期待して
何かを待つより
一瞬を逃す事なく
やれる限りの
事をやりましょう
めちゃくちゃな方が
後で、死ぬ前に、
絶対笑えるって。
大阪アメリカ村を中心に『itaZuraproduction』は遊ぶのね
あっ最後に、
大人ぶってる若者よ、
なるべく人目にふれないでおこうとする若者よ、必死こいて誰かの機嫌をとっている若者よ、
20代なのに『年とった』などと寒い事を言っている若者よ、
守りの人生を必死で守ってる若者よ、
バカ最高である。
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困ったときには