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500系こだま【第二の人生】

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詳細 2014年8月6日 21:40更新

リストラ人生なあなたに…
華やかに「80ヤードを独走」した500系も、今や。。。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
■映画と夜と音楽と…
男たちの生き暮れる夜
http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20070608140000.html
十河 進
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●アーウィン・ショーという作家がいた

カンヌ映画祭で思い出す小説がある。アーウィン・ショーの「ビザンチウムの夜」である。
アーウィン・ショーは「夏服を着た女たち」という短編が有名で、現役時代の山口百恵が愛読する作家として名前を挙げたことがあり、一時は日本でもけっこう売れたのだが、最近はあまり本を見かけない。

僕はアーウィン・ショーを十代の頃から愛読していて、「80ヤード独走」という短編は何回読んだかわからない。「ビザンチウムの夜」を訳した小泉喜美子さんは、後書きでこんなことを書いていた。

──ショーの「80ヤード独走」(一九六三年十月号『ミステリマガジン』所載)を読んだときの感激を私は忘れることができません。それどころか、そのときの刺激を土台のひとつにして今日までどうにかものを書いてきたとさえ言えるのです。

小泉喜美子さんはエッセイなどを読むと実に男っぽい考え方をする人で、だからこそ「80ヤード独走」にそれほど反応したのだと思う。
「80ヤード独走」には、ある男の人生が凝縮されて描かれているのだ。

学生時代、アメリカンフットボールの選手だった主人公は、ある試合で80ヤードを独走してタッチダウンを決める。
だが、彼の人生ではその一瞬だけが華やかな栄光に包まれたときであり、今はアメリカ中を営業で回る洋服のセールスマンでしかない。

その短編の魅力を何と言ったらいいのだろう。
「人生とはそういうものだ」という諦念とは違う。
挫折、失意、不遇…といった言葉だけでは表現できない何か。人生の苦み、などと言えばもっと手垢にまみれたものになる。

「男は生きていかなければならないんだ。生きていくときには忘れてはならないものがあるんだ…」
そういうことを、その短編は十代の僕に教えてくれた。
僕も小泉さんと同じように「80ヤード独走」でショーが鮮やかに描いたエッセンスを土台にしてものを書きたいと思った。

「ビザンチウムの夜」は、その延長上にある文庫で四百八十ページ近い長編だ。読み終わったとき、「80ヤード独走」と同じように深い感慨に襲われる。人が生きることの意味が伝わってくる。主人公のように華やかな世界で生きてきたわけではない。しかし、どんな人生にも共通する想いが、そこには描かれている。

かつての栄光を懐かしむのはいい。それをよすがに生きていくのもいい。
だが、どんなにみじめになっても、生きていかなければならない。
さびしさに耐えなければならない。
人のせいにするな。すべては自分の選択だ、自ら招いたものだ。
それを引き受けて生きてゆけ。
自分が誇りだけは失っていないという実感を持てれば、他人が何を言おうが、後ろ指を指そうが、嘲笑おうが…放っておけ、「ビザンチウムの夜」は僕にそんなことを囁くのである。

●一九七〇年のカンヌ映画祭を背景にした物語

一九七〇年のカンヌ映画祭にジェシー・クレイグがやってくるところから物語は始まる。ホテルの部屋にいると、若い女がやってくる。ジャーナリストの卵でジェシーをインタビューし記事にしたいのだという。すでに彼のことを詳しく調べており、その原稿をジェシーに読ませる。

ジェシー・クレイグは若い頃に演劇のプロデュースで成功し、映画制作に進出してヒット作を何本も作ったプロデューサーだ。だが、もう何年も制作した映画はなく、業界では忘れられた名前になりつつある。ジェシーが一本の脚本を手にカンヌにやってきたのは、出資者を見付けるのが目的だ。

彼は、夜毎、様々なパーティに顔を出す。昔なじみの連中と顔を合わす。カンヌ映画祭の雰囲気が活写される。だが、誰もがジェシーを昔の人間、終わった男としてしか見ない。
四十八歳のジェシーは再起を狙っているのだが、業界では「かつてはいい仕事をしたプロデューサー」でしかない。

ジェシーは回想する。彼が発見した才能にあふれた脚本家。その脚本をプロデュースし、大成功した若い頃。だが、彼は友人だった脚本家を裏切る。また、愛人を裏切り、妻を裏切る。
思い出せば、慚愧、慚愧とつぶやきたくなるだろう。罪の意識ではない。だが、俺は何をやってきたのだろう、と唇を噛む。そんな想いだ。

ジェシーは罪悪感からか、かつての盟友だった脚本家の新作をプロデュースするが、それは見事に失敗する。ジェシー以上に、脚本家は過去の成功作にとらわれている。過去の栄光を忘れられない。
今は貧しい暮らしをしていても、いつか再び返り咲くのだとしがみつく。かつての盟友のそんな姿が、ジェシーに何かを教える。

一九七〇年はカンヌで「ウッドストック」が上映された年だ。三章はジェシーが「ウッドストック」を見る場面である。制作者の才能を認めながらも、「映画が進むにつれ、スクリーンに拡がる一種の狂躁的な乱雑さが次第に彼の気持を滅入らせてい」くのである。彼は中座する。

ちなみに、その年の最高賞(グランプリ)は、ロバート・アルトマン監督の「M★A★S★H」だった。審査員特別賞が「殺人捜査」、審査員賞に「いちご白書」とハンガリー映画「鷹」が入った。ジョン・ブアマンが監督賞をとっていて、僕にはとても懐かしい。

さて、ジェシーは持ってきた脚本を何人かに読ませるが、やがてそれはジェシー自らが書いたものだとわかる。彼は、その脚本に何かを賭けたのだ。その再起をめざすストーリーに、女たちがからんでくる。過去の女、現在の女たちだ。別れた妻がいて、娘がいる。パリには愛人がいる。そして、インタビューにやってきた若いジャーナリスト志願の娘に惹かれる。

まあ、何だか自分で人生をややこしくしているなあ、というのが、最初に読んだときの僕の印象だった。だが、人生は複雑にしたくなくても、そうなってしまうものなのだ。愛していなくても、親友の奥さんであっても、寝てしまうことだってある。

この本を最初に読んだとき、僕はまだ三十になったばかりだった。ジェシー・クレイグの四十八歳という年齢は遠い世界だった。遙かな未来だった。実感はなかった。今では、その歳を遙かに追い越した。自分が四十八歳だった頃を思い出すと、何て活動的だったのだろうと思う。

ニューヨークに帰ったジェシー・クレイグは倒れ、死線をさまよう。やがて回復し、「あなた自身の複雑さをほぐしなさい」と医者に言われて退院する。
もちろん、酒はとめられているのだが、ニューヨークの昔よく通ったバーに寄る。その最後の一行が印象的だ。

──クレイグは微笑した。生きていてよかったと思った。二口目を飲んだ。酒がこんなに美味かったことはなかった。

ジェシー・クレイグに比べれば、僕はずっと単純な人生を送ってきたし、すがるような過去の栄光もなかったが、「ビザンチウムの夜」からは、どんな人生にも生きることに疲れ、途方に暮れる夜があることを教えられた。
どんな人も、それに耐えて生きている

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