掛け軸のコミュニティです。
掛け軸・ジャパニーズタペストリー・色紙額・和表装など
に興味がある方のご参加をお待ちしています。
▼掛軸の歴史
中国の北宋時代に掛物として掛軸が用いられていた 桐箱に入れると持ち運びに容易である事と、比較的複数生産が可能であったため掛軸は仏教の仏画用にまず普及を始めた。 日本ではすでに飛鳥時代に掛軸が仏画として入ってきていているが、鎌倉時代後期に禅宗の影響による水墨画の流行から掛軸も流行していった。 仏教仏画の世界から、花鳥風月の水墨画など独立した芸術品をさらによく見せる補完品として発達していった。
室町時代以降「茶の湯」の席で座敷の「床の間」にも水墨画の掛軸が多く見られるようになった。千利休が掛軸の重要性を言葉にするようになると、茶を愛する人達により掛軸が爆発的に流行するようになった。来客者、季節、昼夜の時間を考慮して掛軸を取り替える習慣が生まれた。来賓時その場面の格式などを掛軸で表現することが重要視される考え方が生まれた。真の(さらに真、行、草)、行の(さらに真、行、草)、草の(さらに行、草)などだ。
江戸時代に明朝式表具が日本へ入り、文人画には文人表装などで掛軸が華やいでいった。 それと同時に表具の技術技巧が著しく発展を遂げた。また、大和錦・絵錦唐織など複雑な文様の織物が好まれ、西陣など織物産地で次々生まれていった。 18世紀には、江戸を中心とする狩野派とは別軸で京都画壇が栄えた。日本画も楽しむという価値観をもった人達に支持され、掛軸もそれにつれ芸術価値を高めていった。
明治・大正期は日本画の隆盛により、掛軸もさらに大きく飛躍していった。 昭和にはいると戦争により大きく絵画を愛でる時代背景ではなく、掛軸の需要も激減した。戦後、日本画の掛軸離れが著しくなていったことと、生活の洋風化により「床の間」離れが目立ち、掛軸の愛好者数は今も大変寂しい状況が続いている。
皆様が趣味の情報交換や、展覧会等の発表の場となれば幸いです。
日本の古き良き文化を尊重しつつ、新しく斬新な掛け軸を次世代へ受け継ぐ事が夢です。日本人であることを忘れないように、床の間という独特な間取りを無くさないように、文化の交流&復興を目指しましょう。
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