伏見直江 ふしみなおえ 姐御女優の第1人者。
女優 1908−1982 戦前、大河内伝次郎の相手役として知られた。
まるで暴力闇獣医にも見えるど迫力。
東京・深川の生まれで、父は新派の旅回り役者。その関係で少女時代から舞台や、映画の少年役をつとめた。
24年、新派の不安定な生活を嫌い、築地小劇場に入団。かなりの演技力で滝沢修や友田恭助の相手役に起用される。ただ、小学校にもろくに通わなかったので、台本の字が読めずに苦労した。
27年、以前出演した帝キネに誘われて入社。父はすでに亡く、母娘3人の生活に月給150円(現在の約80万円)は大きな魅力だったのである。やがて、阪東妻三郎プロを経て日活京都に入社。ここで[伊藤大輔監督のもとに大河内伝次郎とのコンビが始まる。
『忠次旅日記』(27年)3部作、『新版大岡政談』(28年)など大河内との呼吸ぴったりの共演は、時代劇史場に燦然とした光芒を放っている。私生活でも大河内との同棲に入った。しかし、大河内の母親の「 芸者ならまだいいが、女優との結婚は許さない」の言葉で破談になった。
戦後は妹の信子と大阪にクラブを開いた。
1982年、腎不全のため大阪の病院で死去した。73歳。