ダンス・エンターテインメント・ユニットとして“キャバレー・ショウ”をハリウッドを中心に行っていたプッシーキャット・ドールズ。
そのステージにサプライズで登場するグウェン・ステファニー、クリスティーナ・アギレラ、ブリタニー・マーフィー、シャーリーズ・セロン、ニッカ・コスタ、パリス・ヒルトン、パメラ・アンダーソンなどのセレヴ・ゲスト・パフォーマンスが話題となり、インタースコープがレコード契約を結んだことからプッシーキャット・ドールズの華々しいストーリーはスタートした。
2005年リリースされたデビュー・アルバム『PCD』からは「ドンチャッ」、「スティックウィッチュー」、「BEEP」、「ボタンズ」、「アイ・ドント・ニード・ア・マン」、「ウェイト・ア・ミニット」がカットされ、いずれもが世界各国のシングル・チャートのトップ10に送り込まれ、全世界で700万枚のセールスを記録。瞬く間に6人は現代のガールズ・グループのトップ・ステイタスを築いた。
そんなPCDのリーダー的存在のニコールは、すでにプッシーキャット・ドールズ以前にエデンズ・クラッシュというガールズ・グループで活躍、シングルともに全米チャートTop10入りをしたキャリアを持っていた。
ハワイ生まれの彼女は、そのナチュラル&スピリチュアルなハワイのカルチャーのなか、自然な流れで音楽、ダンスに親しみ、興味を持ち始める。ケンタッキー州に移住後、徐々にダンサーとしての自我に目覚め始めた彼女は高校時代にパフォーマンスを勉強、アクターズ・シアターでのパフォーマンスを始める。その後大学で映画/演技を専攻中、デイズ・オブ・ザ・ニューというバンドのバック・ヴォーカルに採用されたことからプロとしての活動を開始、スタジオ・レコーディングも果たす。
2001年にはワーナーブラザーズTVのオーディション番組「ポップ・スター」に前述のエデンズ・クラッシュの一員として出演、注目を浴びシーンにデビュー。全米チャート・トップ10入りのシングル・ヒットを放つもアルバムをリリース前に解散。その後、セッション・シンガーとして活躍を続ける中、プッシーキャット・ドールズとの出会いを2003年に果たした(そのプッシーキャット・ドールズの仲介を果たしたのは実はブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アムというのはあまり知られていない事実)。
リード・シンガーとしての才能はもちろん、彼女のパッション溢れるステージとは違った知的かつピュアな発言は男性ばかりでなく同性からの多くの共感を得、圧倒的な支持を得ている。
そして“生涯の夢”だったソロ・アーティストとしての第1歩を踏み出す。
ソウル・メイトとしてお互いをリスペクトし合うブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アムをはじめ、Ne-Yo、エイコン、ファレル・ウィリアム、T.I.、スティング、ティンバランド、ポロウ・ダ・ドン、バスタ・ライムスといったそうそうたるゲストが彼女のソロという船出に花を添えている。
困ったときには