自分が何かの天才だと思う人。
何の天才なのか、まだわからない人。
「天才だね。」と言われた事のある人。
天才と言う言葉の意味がよくわからない人。
天才を実感した人。
天才とは一般に、天性の素質に恵まれて才能を発揮する者とみなされる。
しかし各々の天才と呼ばれる者の成り立ちを伝記などから紐解く限りでは、必ずしも彼らが幼少の頃から天才扱いされているとは限らない。また「神童(天才的な子供)も、大人になればただの人」などという警句にみられるように、幼い頃に天性の素質を見せていたからといって、それが大人になっても続くとは限らない。その生い立ちに少なからず他者の働き掛けが影響しているケースも多く、天才が天才たりえるメカニズムは依然不明である。
とはいえ、子供の頃から問題行動を含めて特異性の見られた人が、後年になって高く評価されるケースも多く、そのような特異性を持つ子供を幼い頃から専門的に養育する事で、天才とされる人を育てようと考える人は少なくない。
幼児教育でも、親心や親の欲目から我が子を天才的な存在に育てたがる人は多い。
その一方、米国などではギフテッド(意訳すれば「授かりものの才能」)と呼ばれる、専門の教育で才能を開花する余地のある子供らが見出されている。
アメリカ教育省は1993年に定義を発表、これに合致する児童に特別な教育(特別支援教育の一種)を与え、その才能を育てようという模索が続けられている。これらでは従来、所謂学習障害とみなされていた者も部分的に含まれるかもしれない。
欠点に着目してそこをカバーするのか、長所を見出してそこを集中的に伸ばすかという問題も絡む。
同様に扱われる存在として芸術性を発揮するタレンテッドがある。
天才は古くより、人類の歴史において文明の発展に大きく寄与してきた。
このため尊敬と羨望を集める存在としても扱われ、架空の作品中でもしばしば登場する。身近な例では漫画などの大衆娯楽にもしばしばストックキャラクターの類型として登場する。
この辺りは日本の作品にあっても同様で「ストックキャラクター 日本的な男性キャラ」「ストックキャラクター 日本的な悪役キャラ」の中にも天才ないし自称天才、更には天才じみた才能を発揮する者もいる。
このデウス・エクス・マキナ的な舞台装置としての天才は、場合によってはマッドサイエンティストのように、滑稽ないし異常な性格を持つ役柄として登場する事もある。また「自称天才」のようなキャラクターも登場するが、自称の場合では本物の天才に及ばない劣等感から、悲惨な事件を起こすなど歪んだ性格のキャラクターであることも多い。
その一方で天才を人為的に作り出そうというアプローチを取り上げたSF作品も多い。
代表的なところとしては『アルジャーノンに花束を』が挙げられるが、この作品では脳への薬理的な働きかけと外科的手法とにより次第に知能が向上して一時的な天才となった者が、愚かだが状況に不満も抱かずに過ごしていた頃から、知能があがるにつれて猜疑心を抱いたり孤独に悩まされたりといった状況を経て、やがて己の知能が失われることに気付いて思い悩み、やがて最初の無垢な愚か者になっていく様子が描かれている。
困ったときには