野間宏は日本の代表的な作家の一人。1915年、大阪の生まれ。写真中央が野間。向かって右側が中村真一郎。反対側に埴谷雄高が立っている。
彼の代表作は、崩解感覚、真空地帯、わが塔はそこに立つ、青年の環など。
部落解放運動に関わっていた時期もある。また、共産党に入党していた。最終的には除党処分にあった模様。
武田泰淳たちが、ソビエトに旅行した際、野間宏が除党された理由を、いろんなところで聞かれたらしい。
戦争がなければ、野間は、作家として認められなかっただろうというニュアンスの発言に出くわすことがあるが、彼の業績は、やはり再評価されるべきである。政治的な意味あいなど抜きで。象徴的な文体で、心理を表現するうまさ、そしてねばり強さは、海外を含め、他に例を見ない。しかし、それが故、ストーリーの展開が遅くなり、批判を受けることも。
彼の文学理論は、全体小説論である。心理、生理、社会を全体的に捉えようというのが、その全体小説についての簡単な解説である。
中村真一郎は晩年しきりに僚友・野間について言及している。野間を世界の前衛小説家と認めていた。野間に対する世間の評価の低さ、或いは無視、無関心に対して、中村は大いに不満をもっていたと思われる。
花田清輝が主催した「夜の会」に参加したこともある。そこで、同じく参加していた岡本太郎に、「のろまひどし」なるニックネームを頂戴する。ちなみに、花田清輝は、「はなはだきよっている」。埴谷雄高は「なにをいうたか」であったらしい(埴谷雄高の著作より)。