アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン(Aleksandr Nikolayevich Skryabin, Александр Николаевич Скрябин, 1872年1月6日 - 1915年4月27日)は、ロシアの作曲家、ピアニスト。作曲者自身はフランス語風にAlexandre Scriàbine(もしくはScriabine)と綴ることを好んだ。英語ではAlexander Scriabin、ドイツ語ではAleksandr Skrjabinとなる。
スクリャービンは自身が卓越したピアニストであったことから、自然とピアノ曲を数多く作曲した。「本質的にミニアチュール(小品)作家であった」と言われるように、小品のほとんどは3分程度にも満たない。これはラフマニノフら同世代のロシアの作曲家に比べて分かるように、スクリャービンは優れた旋律家ではあったものの、息の長い旋律を続けざまに書くという発想がなく、古典的な楽節構造を好んでいたこととも関連する。このことは、まったくといっていいほど声楽曲を手がけていないこととも関連していよう。
スクリャービンは少年時代からショパンやリストを敬愛したため、ピアノ書法や旋律の発想において、この両者から非常に大きな影響を受けている。しかしながら左手の特訓の結果、右手に匹敵するほど柔軟な運動力を身につけたことから、この両者と異なる独自のポリフォニックな発想も顕著である。ショパンの影響は、練習曲や前奏曲、マズルカといった楽種だけでなく、初期の作風(1900年ごろまで)にも明らかに残っている。一方、リストやワーグナーに影響された中期(1902年から1905年ごろまで)の代表的作品として、練習曲(Op.42、1903年)があり、独自の音楽語法を形成した後期の代表的な作品に、ピアノのための詩曲「焔に向かって」(Op.72、1914年)が挙げられる。
ピアノ曲以外で主要な分野は管弦楽曲(後述)のみである。室内楽曲は数曲、歌曲は1曲、ほかにオペラのスケッチが残されたに留まる。
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