95年ドラフト6位で中日ドラゴンズに入団し、2年目の97年には1番中堅でレギュラーとなり規定打席に到達し、リーグ最多の8三塁打を放ち、「ドームの申し子」と呼ばれるようになる。しかし、翌年の98年には、李鍾範、久慈、関川の加入により出場機会を徐々に減らしてしまう。
99年にはわずか8試合の出場13打数4安打(4安打はすべて北陸シリーズで放った安打である)にも関わらず、日本シリーズ第2戦で2番指名打者として先発出場。第1打席はまさかの送りバント失敗に終わるが(おそらくこれが原因でこの年のパワプロではバント×がついた)、その後ヒットを量産し、終わってみればシリーズ打率5割近くのハイアベレージを残し、翌年の活躍の期待がかかったが、右肩痛のけがなどに悩まされ、思うような成績を残すことができなかった。
2000年オフに右肩治療のためいったん自由契約となったが故障が癒えたため再契約を果たした。
そして、2001年シーズン途中に金銭トレードで大阪近鉄バファローズへ移籍し代打要員として活躍した。その年の近鉄が優勝を決めた試合では9回裏ノーアウト2・3塁の場面でギルバートの代打で登場して四球を選び、北川博敏の代打逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームランのお膳立てをした。元中日、元近鉄らしくパンチ力やチャンスや代打でのメンタリティに優れる。しかし選球眼も良い為、こういった要所で四球を選ぶというケースも多く見られた。
2005年には楽天へ移籍。2006年シーズン終盤に楽天から戦力外通告を受ける。本人は他球団でのプレーを希望し12球団合同トライアウトを受験、本塁打を放つも声がかからずそのまま現役を引退した。
2007年からは、「楽天イーグルス・BASEBALL SCHOOL」の常勤講師や、同球団が主催する少年野球塾のゲストコーチなどとして活動している。
ちなみにその甘いマスクで、90年代後半はチーム1,2を争うくらいの女性ファンが多かった
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