当たり前の話ですが、ハワイで毛皮のコートを着ている人はいないし、グリーンランドでタンクトップを着ている人はいません。何故なら、それらの衣類がその土地で生存・生活するのに適切ではないからです。ここでは「気候」という自然環境が人々の衣類を決定する要因になっています。
1970年前後の米国で「フラワーチルドレン」と呼ばれるサークルが蔓延りました。時はベトナム戦争最中。次々と本国返送される柩を目の当たりにした米国市民は「ベトナムに平和を!」と叫び始めました。ジーンズや帽子に平和の象徴であるフラワーを飾り、デモ中に突入してくる機動隊の銃口にフラワーを差し込みました。ブーツカットジーンズは反体制の、ロックは反社会のシンボルでした。この時代における若者のファッションは、政治的な要素・主張を多分に含んでいたように思います。
では、私達が何気なく嗜好するファッションは何が要因になって決定が成されているのでしょうか。思想、信条、主義、主張、誇り、イデオロギー、総体的な意味での「政治」。一言では説明できない様々な要因が複雑に絡まりあって、自己意思の一表現手段として決定が成されているのが「ファッション」なのだと私は認識しています。ここで言う「ファッション」とは、皮相的な流行としてのものではなく、いわば「文化」の一形態としてのそれです。
「ファッションと政治」、さらには音楽や映画。それら文化の諸形態には如何なる相関関係があるのか。
何も考えなければ誰も追及しないし、その必要もない。
「ファッション」を考えることで政治を知り、文化を知る。世界の事をもっと知りたい、そして少しずつでも良い方向に変えていきたい。そんな人たち有志で、色んなテーマで議論したい、そんなコミュです!
困ったときには