アウトサイダー・アートの作家、
オーギュスタン・ルサージュのコミュニティです。
ダーガー、ヴァルフリのコミュニティがあるのに
ルサージュは無いなんて。
ということで作りました。
作品
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スイスローザンヌ アール・ブリュットコレクション
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ルサージュ、アウトサイダーアートに関する内容でしたら自由にトピ立てて下さい。
露出が少ない作家なので静かな運営になると思います。
◆
オギュスタン・ルサージュ(Augustin Lesage)
1876.8.9〜1954.2.21
フランス サン=ピエール=レゾシェル
北部フランスの炭鉱ですでに20年働いていた1911年のこと、オーギュスタンルサージュは彼は画家になるという予言の声を聞いた。
この啓示は彼を心霊術にかかわらせることとなりまもなく霊媒として目覚しい才能を発揮した。
霊感治療も行っていたルサージュは1914年には
地元の医師組合の訴えにもかかわらず
彼の治癒した30人の患者の証言により無罪となった。
彼にとって最初の指導者となった霊、マリー(既にずいぶん前に亡くなっていた姉妹の名前である)の
強い勧めによりルサージュは1912年に
初めて自動記述によるドローイングを制作している。
(彼は自分を導くものとして1918年にはレオナルド・ダ・ヴィンチの霊を、1925年以降は彼がマリウス・ドゥ・ティアーなと呼ぶ霊を確認することになる)
ルサージュは彼を導く霊の主張を受け入れ
1913年に絵の具と絵筆を購入し巨大な作品の制作に
とりかかった。
100平方フィートのカンバスを自宅の壁に取り付け
ルサージュは右上隅から描き始めた。
一年以上も晩と日曜日に仕事を続け、彼の後の作品に見られる対照的で建築的な手法でこの絵を完成させた。
この1913年の最初の作品以降、ルサージュはカンバス中央に赤線を引きおろす方法を開発しその両側に小さな図案や人物像を配置して非常に対照的な作品を作り出していった。
1927年以降ルサージュはしばしばエジプトの象形文字や神殿、あるいは神官等を彼の作品に取り入れている。
第一次世界大戦に従軍後、ルサージュは炭鉱に戻り制作を再開した。
1923年までに彼は影響力を持つ霊能者のサークルの中で注目を集め炭鉱労働から退き
全ての時間を霊能活動と作品製作に打ち込めることとなった。
彼は作品が売れ始めるに従い、その値段を作品製作にかけた時間に炭鉱に稼いでいたであろう給料を元に計算している。
パリで作品を展示した後、
1927年にルサージュはアンスティテュ・メタプシシック(心霊現象研究所)に招かれて彼の能力を示し
そこで彼の霊媒、画家としての資格は認知された。
ルサージュは死ぬまでにおよそ800点のカンバス作品を完成させた。
パラレル・ヴィジョン-20世紀美術とアウトサイダー・アートより抜粋
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