ラウル・ハウスマン(1886〜1971)
オーストリアの画家、詩人、写真家
父から絵の手ほどきをうけることから絵と向き合う。1901年ベルリンに移り住む。
1912年から「シュトゥルム」、1914年からは「アクツイオン」に関係する。
1918年詩人リヒアルト・ヒュルゼンベックとフランツ・ユングらと共に「クラブ・ダダ」設立。『フライエ・シュトラーセ(自由街路)』を発行。ベルリン・ダダイストたちと運動を開始する。ヒュルゼンベック、グロッスらと共にベルリン分離派会館で大規模な会合を組織。バーダーと講演行動を行う。フォトモンタージュの技法を創った芸術家と言われている。宣言文『絵画、彫刻、建築の素材』『音響の法則についての宣言』『音響詩』の出版をする。
1919年にバーダーと『デァ・ダダ』誌発行。第3号はハートフィールド、グロッスらと共同編集。同年ノイマン画廊で最初のダダ展。1920年ヒュルゼンベック等とドレスデンなどへダダの講演旅行をした。同年音響詩を発明。1922年から1923年にケストナーの展覧会でリシツキーと出会っている。1923年発行の雑誌『G』に参加。1937から1938年チェコスロバキアに住み、写真の研究を開始。1944年フランス、リモージュに移り、モホイ=ナジによって送られた写真によって最初のフォトグラムを制作。フォトモンタージュと音声詩の仕事を再開。1971年フランスにて死去。
ハンナ・ヘッヒの恋人と言われている。
画像は「機械的頭部(われわれの時代精神)」
1919年 ボール紙、木、金属、皮
岩波書店のダダ・シュルレアリスムの表紙でご存知の作品美術の教科書やら文献でも有名な作品
ダダの象徴っぽい
検索ダダイズム、シュールレアリズム、シュルレアリズム、超現実主義、dada、サルヴァドール・ダリdali、マックス・エルンスト、マルセル・デュシャン、ルネ・マグリット、ジョルジョ・デ・キリコ、マン・レイ、ジョアン・ミロ