DAETH ROW(死刑囚収容棟)
時代は1993年にさかのぼり、西海岸のギャングスタラップの流儀を一新させ、業界を驚嘆させたレコードレーベル。
所属するアーティストは本物のギャングあるいは元麻薬の売人など前科持ちが多い。そんな彼らが作り放つラップはリアリティーに溢れる作品が多い。あたかも死刑囚の犯罪人が堂々とTVに出てきて悪びれる様子もなく自分の生き様をラップで訴える。DAETH ROWはそれを原点として成り上がったと言っても過言ではない。当時の記録では、市民団体は異議を唱え、政府もこのレーベルの存在に難色を示したとされる。
1993年、ドレーの「ザ・クロニック」から常にヒット曲を飛ばし続け西海岸のDEATH ROW帝国の名を欲しいままにした。
しかしながら、トゥーパックの電撃移籍を機に崩壊の兆しを見せる。プロデューサーの要であったドレーが脱退し、頼みの綱であったトゥーパックもラスベガスで、横付けしてきたキャデラックから銃撃を激しく受け、死亡する。
それに伴い1999年までに殆ど主だったアーティストが脱退。全ての原因はDEATH ROWをドレーと共に立ち上げたシュグ・ナイトの豪腕ぶりによるものだという。
1993年にレーベルを起こし1996年以降は衰退の一途をたどった。このいかにもゲットー育ちのアウトローらしい成功と衰退話は今でも伝説として語りつがれる・・・。
個人の見解としてはDEATH ROWが衰退してから、西海岸や東海岸の壁が崩れ始めたと思う。スヌープとパフダディ、ドッグパウンドとジェイ・ズィーのコラボなんかは90年代ではまずありえなかっただろう。ただ、その夢のような組み合わせから、素晴らしい音楽が生まれるというわけでは必ずしもないと思う。
抗争が賛成というわけでは絶対ないが、東・西と争っていた時は、それぞれが自分達の出身や文化を守るために、地域のスタイルを前面に出していた。そしてそれが地域における個性となっていた。今は東西の文化が融合して昔とは異なる音楽が生まれている気がする。もちろんそれはけっして悪い事ではないが、抗争・非難はつきもの、だからこそ、それを「ギャングスタ・ラップ」って呼ぶんじゃないかと、最近考える次第。
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