≪書籍情報≫
著者:ゆうきまさみ
出版社:小学館
版型:ワイド版
カテゴリー:復刻版コミックス
連載雑誌:週刊少年サンデー
≪同一著者書籍≫
・機動警察パトレイバー [1~22全巻]
・じゃじゃ馬グルーミン★UP! [1~26全巻]
≪参考情報≫
参考情報はWikipediaより抜粋したものです。(詳細は下記のとおり。)
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『究極超人あ〜る』(きゅうきょくちょうじんあーる)は、1985年から1987年にかけて「週刊少年サンデー」(小学館)において連載された、ゆうきまさみによるSF学園コメディ漫画。第19回星雲賞マンガ部門受賞。
私立春風高校を舞台に、光画部という一般にいう写真部に属する生徒・OBたちとその周辺で起きるさまざまな奇妙な事件を描く。体育系のクラブ活動を描く既存の学園マンガと異なり、それまで日の当たらなかった文化系クラブの、社会的には変人に分類される生徒や人々の生態をユーモアをこめて肯定的に描いた。
単行本は少年サンデーコミックスで全9巻、同ワイド版で全4巻、小学館文庫で全5巻が刊行されている。
【作品概要】
本作は、どこか変な人が集う春風高校、その中でも特に変な人の集まりである光画部(写真部のこと)の面々が織り成す世界を描いたギャグ漫画である。作品中には当時の時事ネタや特撮・アニメネタなどが豊富に織り込まれており、解る人には解り、解らない人にも何となく笑えてしまう話の作りが人気の源である。
もともとこの漫画はまったくの創作というわけではなく、その舞台は都立板橋高校光画部をモデルにしている(ゆうきの友人である音楽ディレクター・とまとあきと、その後輩の出身校で、この後輩・成原(ナリゲンと読む。成増に住む原人の意。とまとあきの3つ下)がRの直接のモデルである)。
それ以外にも、ゆうきの友人をモデルにしたキャラクター(たとえば たわば → 先に挙げたとまとあき、鳥坂 → 鳥坂(細川)司(元東京都職員、現在はゆうきまさみのマネージャー?)、まりい → 川村万梨阿(声優)、伊東 → 伊藤和典(脚本家)、伊東の彼女→高田明美(イラストレーター、連載時、伊東和典の妻(後年、離婚))、刑事さん → 福田孝(サンデーでの初代担当)、島崎 → 島崎信行(OVAでのディレクターの一人))、明らかにモデルがわかるキャラクター(たとえば 校長 → 春風亭柳昇、毒島 → 天本英世、 軽音の山本君 → 山本正之、兵藤真 → 兵藤まこなど)が登場する。
また、この漫画にはいたるところに特撮やその当時の時事ネタを基にしたパロディ(たとえば、さんごの苗字「大戸島」はゴジラが初めて出現した島の名前。初期の名前はまんま「大戸島かぐら」だった)がちりばめられており、知っている人は思わずにやりとしてしまう要素も数多い。
台詞の一部がしばしば旧仮名遣いになる(「なんでしょう?」→「なんでせう?」等。当初は現代仮名遣いのルビが振られていた)。
【他のメディアでの展開】
本作は漫画以外のメディアでもその世界を展開している。
イメージソングはインストゥルメンタルを含めれば実に20曲以上にのぼり、これは他の漫画にはあまり見られない現象である。
作者のゆうきまさみが音楽ディレクターとまとあきと長年の友人だったことから、その伝でゆうき自身がファンだったという作曲家山本正之にイメージソング(コウガマンの主題歌)の作詞・作曲を依頼し、それならついでに……と、とまとが参加していたワーナーパイオニア「イメージカプセル」レーベル(当時)からアルバムリリースを打診され、その勢いで数々のイメージアルバムが完成した。
製作期間2週間(最初の打ち合わせが1986年9月15日。ここからキャストの声優に一部ゲリラ的な出演依頼……塩沢兼人はたまたまタクシーに乗り込む際、いきなりとまとあきが一緒に乗ってきて、その場で『あ〜る』のコミックスを渡されて「これやってくれませんか?」と依頼されたという……が行われた。春高校歌は3日で歌詞ができた)といわれる最初のアルバムがヒット(社内の「ヒット賞」を受賞)し、当時低調だったイメージアルバム市場が息を吹き返すきっかけともなった。
なお、イメージアルバム中には有名声優陣および、ゆうきまさみ本人を含む彼の友人を主体にした業界人(豪華な声優のギャラが制作費を圧迫した為の苦肉の策であるが、もともとゆうきらは「魔法帝国ドロント」という同人サークルで本格的なオーディオドラマの制作経験があり、それが活かされた形になった。第1弾・第2弾のライナーノートに「協力:DORONT」の名がある)によるミニドラマも多数収録されており、OVA誕生の足がかりになった。
また、このOVAも好評であったことから、R・田中一郎の声を担当していた塩沢兼人が事故で急逝するまでは、テレビアニメ化という噂も何度か上がったことがある。
しかしゆうき自身は「この作品は会話劇であり、アニメになると台詞の間の取り方が難しくて面白くならない。音楽と歌を先に作って後から絵をつけたものが最も適した手段ではないか」として、アニメ化はかたくなに断っていた。
OVAが実現したのは、旧知の仲(若い頃出入りして、ビデオなどを自由に使わせてもらっていた)である「スタジオこあ」(代表は知吹愛弓)が製作したからである。
究極超人あ〜る どらまSPECIALはアナログミュージックテープならびにLPでしか発売しないとしていた(なので「裏返ったなA面B面!」というギャグがB面の「究極戦隊コウガマン コウガピンク危機一発!!の巻」に出てくる)が、後にコンパクトディスクでも発売された。
……とあるが、実際には1987年9月10日に同時発売している。
(「究極超人あ〜る」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2006年10月21日18時(日本時間)での最新版を取得。改訂履歴。Text is available under GNU Free Documentation License.)