中央アフリカ共和国(ちゅうおうアフリカきょうわこく、République centrafricaine)、通称中央アフリカは、アフリカ中央部にある国である。スーダン、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、カメルーン、チャドと国境を接する。首都はバンギ。
【 国旗の意味や由来など 】
赤色は情熱を、青色はフランスとの友情と希望を、白は崇高な理想を、緑色は農業と富を、黄色は豊富な地下資源を、左上の星は自由を表わす。真ん中に赤い帯が配置されているのは、アフリカ大陸の地理的な中央部を意味する。
歴史
1887年フランスはベルギーとの協定でコンゴ植民地を建設、1910年よりフランス領赤道アフリカと改称しウバンギ・シャリは軍政下のチャドをその一部としたが、1916年にチャドを分離した。1958年のフランス第五共和国憲法国民投票に賛成、フランス共同体内の自治共和国となり、国名を中央アフリカ共和国と改称、1960年8月、フランスより独立、デービッド・ダッコ(ダビッド・ダッコ)David Dackoが初代大統領に就任する。
1965年12月にダッコの従兄弟で当時国軍の参謀総長だったジャン=ベデル・ボカサJean-Bédel Bokassa中佐による軍事クーデターが起こり、ダッコ政権が転覆。1966年1月、ボカサ中佐が大統領に就任、独裁政治をはじめる。1970年10月、ジャンベデル・ボカサ大学開校。1972年、ボカサ大統領が終身大統領を宣言する。1976年12月、ボカサ大統領により中央アフリカ共和国に帝政を敷くことが決定される(中央アフリカ帝国)。1977年12月4日、ボカサ大統領は約65億円(2000万ドル)[1]という国家予算の1/4に相当する国費をつぎ込むなど、贅を尽くしたフランス風の戴冠式を行い、中央アフリカ帝国初代皇帝ボカサ一世を称する。(「黒いナポレオン」)。
1979年9月 ボカサ皇帝の外遊中にクーデター発生。フランスが介入し共和制復活。ダッコ元大統領が再就任する。
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