フランスの作曲家リュック・フェラーリ(Luc Ferrari 1929-2005)のコミュニティです。
「リュック・フェラーリは、世界に遍在する音、日常のなかにすでに存在する音を録音して、加工・編集することであるひとつの音楽作品を作ろうとするフランスで生まれたミュジック・コンクレート(具体音楽)(ミュジーク・コンクレート)から出発して、E.ヴァレーズやJ.ケージらの影響を強く受けたのち、独自の音楽づくりを行っているフランスの作曲家で、その音楽は「逸話的音楽」として知られている。」
「音楽家。1929年2月5日パリに生まれる。しかし1931年6月パリ、1907年2月12日ロワイヤン、1898年モントーバンなど様々な自説がある(本人からすると、人が嘘をつくとき、本人がそうと気づく必要はないらしい)。
オネゲル、シェーンベルク、ウェーベルンを熱心に聞く15歳のフェラーリは、最初にピアノをコルトーに師事するが、「先生が最悪だった」ためにうまくいかず、作曲をオネゲルに師事するが、あまりにもオネゲルがペシミスティックだったために、新たな道を探ることにする。1953年には、オリヴィエ・メシアンのクラスに学ぶ。他の作曲家に対する批評はとても素晴らしかったが、神と鳥の話にうんざりして、次なる道を模索しているとき、ジョン・ケージの音楽を聴き、ショックを受ける。
1958年より、ミュージック・コンクレートの創始者ピエール・シェフェールと共にグループ・ド・ルシェルシュ・ムジカーレを設立、活動を行う。しかしそこから徐々にはみ出していき、1966年には正式に脱退。その頃、シュトックハウゼンやセシル・テイラーを追ったTVシリーズの制作にも携わり、生活難を逃れる。また映画音楽にも手を染め、1965年にはヨリス・イヴェンス監督作品『ミストラルに捧ぐ』の音響を担当するため、実際にミストラルが吹く南仏へ行って音を録音。それをイヴェンスに送り、後は彼に任せたので、最終的にどう使われたかは知らない。
その後自ら「逸話的音楽」と名付けたコンセプトを展開。1967年に発表して、本人にも理由が分からないが代表作になってしまった『プレスク・リアン第一番』は、その後の多くの作曲家・ミュージシャンに影響を与える。1982年、電子音響による作曲とラジオ・アートのための協会ラ・ミューズ・アン・セルキュイを設立。これまでに交響作品やラジオ劇などでイタリア賞、カール・ズッカ賞、クーセヴィツキー賞などを受賞。90年代頃からジム・オルークなど、特に音響系からの再評価が高まり、ジョン・ゾーンやデイヴィッド・グラブスのレーベルからCDがリリースされる。
1998年、パリに新スタジオ「アトリエ ポスト・ビリッヒ」(billigはドイツ語で「安物の」という意味)を設立。2002、03年、「新しい世代の芸術祭」の招聘により二年連続来日し、特集が組まれた。2005年8月22日イタリア・アレッツォにて逝去するまで、アカデミズムから自由であり続け、「音楽をこする」とはどういうことか、という根源的な問いを、サウンドで問い続けた。音楽史家ダニエル・コーのコメント(ル・モンド紙)によると、"les Arythmiques"、"Morbido Symphon"といった二つの最新作は、彼自身の身体の不調を音楽的に映しだしたものだったようだ。この作品に対する彼の最後のコメントは、「すごく可笑しい作品になるよ」だったという。」
出典:studio malaparte
「リュック・フェラーリ(Luc Ferrari, 1929年2月5日 – 2005年8月22日)はフランスの作曲家。とりわけテープ音楽の旗手として名を残した。
パリ出身。ピアノをアルフレッド・コルトーに、楽曲分析をオリヴィエ・メシアンに、作曲をアルテュール・オネゲルに師事。初期作品は自由な無調音楽であった。
1954年に渡米し、エドガー・ヴァレーズに出逢う。ラジオ放送で知ったヴァレーズの「沙漠 Déserts 」に感銘を受けており、その後の自作における磁気テープの用法は、「沙漠」のテープ・パートに触発されたようである。
1958年にピエール・シェッフェルやフランソワ=ベルナール・マッシュらとともに「音楽研究集団」を旗揚げする。世界中で教鞭を執るかたわら、映画音楽や劇場音楽、ラジオ音楽を手懸けた。
1960年代初頭までに、「エテロジゴート Hétérozygote 」の創作に取り掛かる。これは、「組織化されて詩的な、しかしながら物語性を指向しない」環境音を用いた、磁気テープのための作品であった。録音された環境音の利用は、フェラーリの音楽語法の特徴的な部分となっている。
フェラーリの「 Presque rien No. 1 'Le Lever du jour au bord de la mer' 」(1970年)は、この種の音楽の古典と見なされている。フェラーリは、1日がかりでユーゴスラビアの浜辺で環境音を録音したが、編集によって、わずか21分あまりの作品に仕上がっている。
フェラーリは、テープ音楽の創作ばかりでなく、純粋な器楽曲の作曲も続けていた。またメシアンやカールハインツ・シュトックハウゼンら、現代音楽の作曲家のリハーサル風景をドキュメンタリー映像に収録して残した。」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
困ったときには