フルネーム ライアン・ジョゼフ・ギグス
Ryan Joseph Giggs
国籍 ウェールズ
生年月日 1973年11月29日
出身地 カーディフ
ポジション MF・FW
身長・体重 180cm・68kg
所属クラブ
1990- マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)
”白線上の魔術師””ジャックナイフ”...
変幻自在の高速ドリブルは世界最高の1人に数えられ、自ら切れ込んで放つシュートも強烈、突出した才能を持ちながらも組織への順応性に優れ、ディフェンス面でも労を惜しまずに働き、ライン際のボールにも懸命に食らいく
90年代から始まるマンチェスター・ユナイテッドの絶頂期にあって絶対的存在として君臨する今や往年のウェールズ代表スタープレーヤー。
マンチェスター・ユナイテッドは、
俗に「天使の左」と「悪魔の右」の両翼をもっていると言われます。
「天使の左と悪魔の右」―こうして書いていてもあまりのかっこよさに身震いしそうですが―
「悪魔の右」とは、言うまでもなく我らがデビッド・ベッカム、そして「天使の左」と云うのが、ライアン・ギグス。
伝説の名プレイヤー、ジョージ・ベストの真の後継者であると称えられるほどの選手。
彼の父親は、ウェールズでは有名なラグビーの選手でした。そんな父の才能を受け継いだ,生まれつき走る事が得意だったライアン・ギグスが少年の頃に所属していたディーンズ・スポーツ(ジュニアチーム)時代にはすでに卓越したスピードとテクニックを擁しており、名将ファーガソン監督自らギッグス自宅を訪れスカウト、マンチェスター・Uの一員となる。
17歳の誕生日に正式にプロ契約、その3ヶ月後にAチームデビュー。
実はこの頃、彼は人生の上で大切な二つの選択をしています。
一つは自分の姓。幼い頃の彼は「ライアン・ウィルソン」と名乗っていましたが、両親の離婚の為、母方のギグスという姓を用いて「ライアン・ギグス」と名乗るようになりました。
もう一つの選択は国籍です。彼は居住地のイングランドではなく故郷のウェールズを選びました。
もしかすると、ギグスの心のどこかで、幼少の頃からのヒーロー、マーク・ヒューズと一緒に「W杯でウェールズを栄光に導きたい」という淡い希望があったのかも知れません。
確かに、イングランドを選んでいれば、世界への扉も簡単に開けたはずです。
しかし、彼はそうしませんでした。
弱冠17才にして途中交代でプレミアデビューを飾ると、その2ケ月後には初の先発出場を果たし、その試合で記念すべき初得点を記録、その後は不動のメンバーとして活躍し1992、93年と連続してサッカー協会の新人賞を獲得する。92/93シーズンにチーム26年振りのリーグ優勝に貢献すると翌シーズンにはリーグ連覇、FAカップのダブルを達成、現在までで8度のリーグ優勝に貢献すれば98/99シーズンにはリーグ、FAカップ、チャンピオンズ・リーグの3冠達成に大きく貢献し、チームの黄金期を語るに欠かす事の出来ないスタープレーヤーとして今尚君臨する。
尚、2006年8月にはギグス自身初となるプレミア月間最優秀選手にも選出されたが、デビュー以来活躍するのが当たり前になっていた事から、初受賞にこれだけの時間を要したと思われる。
ウェールズ代表としても1991年10月ドイツ戦、弱冠17才にしてデビューし最年少記録を塗り替え、祈願のW杯出場(1958年以来)に大きな期待もかかるが、2002年W杯予選では後一歩で欧州予選敗退、I・ラッシュ、G・ベスト、等と同様にW杯とは無縁のスーパースターとなる可能性も大きい。しかし、例えその夢が叶わずともマンチェスター・Uで見せ続けるエキサイティングなギグスのプレーは、我々世代に大きな記憶として残るのは間違いないだろう。
しかし、怪我との戦いの歴史だったといっても過言ではありません。
特に持病として長年苦しめられているのが、「ハムストリングス」の古傷であり、監督サー・アレックス・ファーガソンが最も頭を悩まし、マンUサポーターが最も深いため息をつくのは、ギグスが「ハムストリングス損傷」で戦線を離脱する時だ。
数々の伝説のプレーを残しているが、トレブル(三冠)を達成した1998年FAカップ準決勝・再試合のアーセナル戦で決めた60mドリブルシュートは、今でもファンの間で語り草になっている。