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the community of Bernard "The Executioner" Hopkins
「私はみんなのように年齢を数えたりはしない。」
1965年1月15日生まれの、ペンシルヴァニア州フィラデルフィア出身。
身長185cm、リーチ183cm、体重72kg。
狡猾で戦術に長けた万能型。
40歳を超えた現在でも世界のトップボクサーと戦い続ける驚異的なボクサーである。
史上初めて主要4団体の世界王座を統一し、ミドル級では最長となる20度の連続防衛を記録。
2011年5月にジョージ・フォアマンの持つ最高齢王座獲得記録を46歳4ヶ月で塗り替え、さらに2013年3月には自らの記録を更新する48歳2ヶ月での世界王座獲得に成功した。
パワー、スピード、テクニック、スタミナ、そしてタフネスと、全てを兼ね備えたコンプリートファイター。クリンチの名手としても有名で、練習にはレスリングを取り入れている。
最大の武器は右のダイレクトのストレート。また、トリニダード戦などでも見せたようにカウンターも上手い。
ガードが固く、またパンチを当てさせないテクニックを持ち、ディフェンスも一級品。
クリンチ際、レフェリーが見えない位置で、相手の腿や背中を打ったり、頭突きを交えたワン・ツー・スリー(ツーが頭突き)など、ダーティテクニックも併せ持つ。
死刑執行人の名の通り、リング入場時に、不気味なマスクをつけたり、
カンオケに入って登場して来た事もある。
試合内容については、その巧みなテクニックとリングジェネラルシップ故か、
玄人好みされるタイプという意見もある。
1988年10月11日、ライトヘビー級でデビューするが、黒星でプロのキャリアをスタートした★
デビュー戦後は一年以上、リングへは上がらなかった。
2戦目以降は徐々に身体を絞り、ミドル級前後の体重で経験を重ねる。
1992年12月4日、USBA全米ミドル級タイトル獲得☆
1993年5月22日、ロイ・ジョーンズ・ジュニアと空位のIBF世界ミドル級王座を争うが12回判定負け★(負けはしたものの、全盛期のRJを最も苦しめたボクサーとして評価された。)
1994年12月17日、セグンド・メルガドとのIBF世界ミドル級王座決定戦で引き分けるが、1995年4月29日の再戦で7RTKOでメルカドを破り、IBF世界ミドル級タイトルを獲得☆
その後、順調に防衛を重ねていき、2001年には主要3団体の王者と一階級下から上がってきたフェリックス・トリニダードの4人で統一トーナメントが行われ、2001年4月14日にはキース・ホームズからWBCタイトルを獲得☆
2001年9月29日には圧倒的な不利が予想される中、無敗で当時P4P最強とまで言われたトリニダードを相手に試合を支配・圧倒し、12RTKO勝ちでWBAタイトルを獲得し、マービン・ハグラー以来の3団体統一王者となる☆
3団体統一王座を4度防衛後、2004年9月18日にはそれまでKO負けがなったオスカー・デラホーヤをボディブローによる9RKOで下し、WBO世界ミドル級タイトルも獲得☆
史上初、主要4団体の王座統一を達成した。
しかし、2005年7月16日に21度目の防衛戦で無敗の若き挑戦者、ジャーメイン・テイラーに僅差の判定で破れ、4つののタイトルを失った★
ロイ・ジョーンズに負けて以来12年ぶりの敗戦となり、10年間守り続けた世界王座を明け渡す結果になった。
2005年12月3日にはジャーメイン・テイラーとの再戦が行われたが、判定負け★
2006年6月10日には2階級上のライトヘビー級の強豪、アントニオ・ターバーと対戦。テーラーに2連敗を喫し、自身に勝ったことのあるRJにKO勝ちしたことのあるターバーが有利と見られていたが、ダウンを奪う一方的な内容で判定勝ち☆
この試合がラストファイトと宣言していたホプキンスだが、2007年7月28日、元スーパーウェルター級3団体統一王者ロナルド・ライトとラスベガスで対戦。12回判定3-0で勝利を収めた☆
2008年4月19日に、ジョー・カルザゲと対戦。カルザゲから1Rにダウンを奪うものの、中盤以降盛り返され1、判定2-1の判定負けを喫した★
2008年10月18日、34戦全勝(30KO)のWBC・WBO統一世界ミドル級王者ケリー・パブリックと対戦。
試合前の予想では、自身を2度破ったテーラーに2度勝っているパブリクが有利といわれていたが、ホプキンスが3-0の大差判定勝ち☆
パブリックに初黒星をつけた。
これまでの戦績は、54戦48勝(32KO)4敗1分け・1無効試合。
(Wikipediaより)
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