1875年(明治8年)、文京区内では3番目に備後福山藩丸山中屋敷(江戸の藩邸)に設立された。当時の学校名称は、「第一大學區第四中學區第十三番公立小學誠之學校」であった。 これは、儒教の書「中庸」の「誠者天之道也、誠之者人之道也」(誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり)という一節から名づけられたもので、現在も「誠之人道」を校是としており、これは本校の礎とも言える福山藩校の誠之館と共通であり、またこの名前は誠之館開設者で当時の福山藩主で幕府老中筆頭であった阿部正弘と親交の深かった水戸藩主徳川斉昭の命名による。
以前は校庭はアスファルト舗装であったが、現在では人工芝になっている。プールの真上に体育館がある。校舎は第一校舎から第三校舎まである。敷地の西側には裏庭があり、植物の学習などに利用されている。
2010年12月までは、円形トラックの中に3本の木(イチョウとエンジュ)がそびえていたが、過去に校庭を人工芝へ改修した際にエンジュの根を傷つけてしまい、いつ倒れるかわからない状態であったため、児童のいない冬休み中に切除した。その後はイチョウ2本のみがそびえている。
〒113-0024 東京都文京区西片2-14-6
(wikipediaより)