Texas Alexander(本名:Alger Alexander) 1900年テキサス生まれ(1880年生まれ説もあり)、1954年没。
ブラインド・レモン・ジェファーソンと並ぶ、戦前テキサス・ブルースを代表する巨人であるにも関わらず、そして戦後まで生存していたにも関わらずそのバイオグラフィーは今だ謎に包まれている。
公式な記録では、彼は小作農や日雇い労働者として働きながら1920年代初頭に黒人コミュニティの中のパーティーなどで歌いはじめたこと、27年に最初のレコードをリリースし、その後30年代まで散発的にリリースを続けていること、戦後になって小さなレーベルに数曲録音したこと。54年に梅毒で死亡したことしか分かっていない。
非公式な情報や証言によると
「身長は150cm足らず」
「かなりのダークスキン」
「滅多に笑わない物静かな男」
「右手首がなかった」
「たまに手に櫛を巻き付けてギターを弾いた」
「唄が抜群に上手く、彼がストリートで唄うとすぐに人が集まってきた」
「40年代は殺人の罪で服役していた」
等、様々な逸話や伝説があるが、詳しいことは今も謎である。
ライトニン・ホプキンスとは歳の離れた従兄弟であるという話もある。戦後テキサス/ウエスト・コーストを代表するブルースマンのロウエル・フルスンは10代の頃に彼の旅を手伝いながら伴奏も務めていた。逸話の最初の2つは彼の証言による。
残された彼の音源を聴くと、そのモーン(無言の唸り)を駆使したプリミティヴな歌声は、解放以前のフィールド・ハラーやワークソングの名残りを極めてピュアな形で残すものであり、ブルースの原初形態を最も色濃く感じさせる。そんなプリミティヴなアレクサンダーだが、バックにはロニー・ジョンソン、キング・オリヴァー、エディ・ヘイウッド、リル・ハット・ジョーンズ、ミシシッピ・シークスなど、ブルースやジャズといったスタイルの違いや地域性などに囚われず多彩な顔ぶれが揃っていることも注目に値する。
そんな戦前ブルースの”闇”の部分を最も感じさせるブルースマン、テキサス・アレクサンダーについて語りましょう。