表現力豊かな歌声で繰り広げるヴォーカリーズとスキャットでジャズヴォーカルをとことん堪能させてくれる唯一無二の存在、KURT ELLINGの情報交換のためのコミュです。
テクニック、歌唱は達人・変態クラスだが、それ以上にバラッドに乗せるシンプルなフレーズがこれ極上。やられます。
なかなか日本では知られていなくてあまり来てくれないので皆で応援してもっともっと来てもらおう!!!
●ストーリーテリングの鉄人マーク・マーフィーと、ビート文学の名匠ジャック・ケルアックをこよなく愛し、器楽曲に歌詞をつけて歌うヴォーカリーズに熟練。N.Yと並ぶもうひとつのジャズの聖地シカゴの法灯を、高く燃え上がらせてきたメシアーの代表格。前作まで7枚のアルバムすべてがグラミーにノミネートされ、雑誌の人気投票では、今年まで7年続けて断トツのウィナーに。
●1967年11月2日、イリノイ州シカゴ生まれ。父親はルーテル派の教会でピアノとオルガンを演奏。学校の合唱団や教会で歌う一方で、ヴァイオリンとフレンチ・ホルンも学習。ミネソタ州セント・ピーターにあるルター派系のグスタファス・アドルファス大学でジャズと出会う。エラ・フィッツジェラルドを聴いて歌い始め、大学のジャズ研究会やオーケストラでプレイする。’89年にシカゴに戻ると、シカゴ大学神学大学院で哲学と倫理学を専攻して、宗教哲学者、哲学的な詩人を目指す。この頃からシカゴのクラブに出演し始めると、マーク・マーフィー、チェット・ベイカーのほか、作家で詩人のジャック・ケルアックに触発され、ヴォン・フリーマンら地元の大先輩とも共演、’92年1月に大学院を退学後、一時バーテンや引っ越し業をやりながら過ごす。’93年、郷友エドワード・ピーターセンの薦めによりクラブ・シーンに復帰、さらにピーターセンやポール・ワーティコのサポートによりデモ・テープを制作。これがブルー・レコードの社長ブルース・ランドヴァルに認められ「一押しアーティスト」として契約し、’95年に『クローズ・ユア・アイズ』でソロ・デビュー。これがグラミー賞にノミネートされるほか、『CHICAGO TRIBUNE』誌の「シカゴアン・オブ・ザ・イヤー」も獲得、男性ジャズ・ヴォーカル界の台風の目となった。’97年、カサンドラ・ウィルソンと共演したセカンド・アルバム『ザ・メッセンジャー』の発表に合わせ、渡辺貞夫のイヴェントで初来日。活動の舞台をヨーロッパにも広げることで、傑出した人気を集めていく。デビュー作から7枚目の『マン・イン・ジ・エア』(EMIミュージック・ジャパン)まで、すべてのアルバムがグラミーにノミネートされたのはもとより、米ジャズ誌『DOWN BEAT』の批評家投票で’02年から今年まで7年連続の人気ナンバーワン。その間の’02年から’04年にかけて、ジョン・ヘンドリックス、マーク・マーフィー、ケヴィン・マホガニーとの“Four Brothers”をプロデュースし欧米をツアー、ヴォーカリーズとストーリーテリングのゴージャスなアンサンブルで世界をわかせてきた。最新作は、コンコード・レコード移籍第1弾の『ナイトムーヴス』(ユニバーサル ミュージック)。
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youtube 歌ってる映像を楽しめます
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