明治時代、欧州の伯爵家に嫁いだ初めての日本人、クーデンホーフ光子。
明治7(1874)年、佐賀出身の商家青山喜八の三女として東京に生まれる
旧姓・青山光子。
オーストリア・ハンガリー帝国代理公使ハインリッヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵に見初められ、明治25(1892)年18歳で結婚。
明治29(1896)年に渡欧。
ウイーン社交界の名花と歌われる。
7人の子どもに恵まれるものの、光子32歳の時、夫が急死。
伯爵家の財産管理や子どもたちの教育に力を入れた。
第一次世界大戦、ハプスブルク帝国の崩壊、国の分裂と、時代の荒波に翻弄される。
昭和16(1941)年、脳卒中のため、ウィーン郊外で死去。
次男リヒャルトが、EEC〜ECを経て統一されようとするヨーロッパ、その礎となる「汎ヨーロッパ」思想の提唱者だったことで、その母光子も再度、注目を浴びるように。
(参考文献)
クーデンホーフ光子伝/木村 毅
クーデンホーフ光子の手記/シュミット村木真寿美
クーデンホーフ光子_黒い瞳の伯爵夫人/シュミット村木真寿美
レディー・ミツコ/大和和紀
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