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本田圭佑

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詳細 2024年4月28日 18:08更新

生年月日 1986年6月13日(24歳)
出身地 大阪府摂津市
身長 182cm
体重 76kg
血液型 AB型
選手情報
在籍チーム PFC CSKAモスクワ
背番号 7
利き足 左足



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小学校2年時から地元の摂津FCに入団しサッカーを始める。
中学生時代にはガンバ大阪ジュニアユースに所属し家長昭博、安田理大らと共にプレーしたが、ユースチームへの昇格の内定が出なかったため、石川県の星稜高校へと進学した。
1年時に全日本ユース選手権で準優勝し、3年時の第83回全国高等学校サッカー選手権大会では石川県勢としては初のベスト4入りの原動力となるなど活躍。
2004年には特別指定選手として名古屋グランパスエイトの練習に参加し、ヤマザキナビスコカップなどの公式戦にも起用され数試合出場を果たした。
同時期に横浜F・マリノスの練習にも参加したが、獲得は見送られた。(当時の監督は岡田)

高校卒業に際して複数のJリーグクラブから勧誘を受けたが、2005年シーズンから名古屋とプロ契約を結んだ。
名古屋入団時の契約では本人の希望により「オファーがあれば海外クラブへの移籍を認める」という条項も既に盛り込まれており、将来の飛躍を期待させるものだった。
入団後は、開幕戦から先発出場しアシストを決め、翌年にはレギュラーに定着。
2005年のFIFAワールドユース オランダ大会にも日本代表として参加した。
初戦オランダ戦に守備的な中盤として先発したが、試合は前半にオランダが圧倒、後半は日本もペースをつかむ時間帯を得たが本田は途中交代となった(後半19分、水野晃樹。結果は1-2で敗戦)。
この後チームは16強に進出するものの、守備的な中盤梶山陽平の復調もあり、その後の出場機会はなし。
2006年にはA代表にも飛び級で初招集されたが出場はなかった。
2007年北京五輪アジア予選では主力として五輪出場権獲得に貢献した。

2008年1月からは、さらに高いレベルでのプレーを求めてエールディビジ(オランダ1部リーグ)のVVVフェンロへ移籍。
入団会見ではオランダ語で挨拶を行い、その日のうちに昨シーズンまで名古屋の監督を務めていたセフ・フェルホーセンが率いるPSVアイントホーフェン戦に出場している。
残りのシーズンはレギュラーとしてプレーしたものの、5月にクラブのエールステ・ディヴィジ(オランダ2部リーグ)への降格が決定した。
2008年6月に開催されたワールドカップ・アジア地区3次予選のバーレーン戦でA代表初出場を果たした。
8月に行われた北京オリンピック本大会では中盤の主力として一次リーグ3試合すべてに出場、谷口博之や梶山陽平らと共に攻撃を牽引したが、チームは3連敗で決勝トーナメント進出を逃し、自身もオランダ戦で決勝点となるPKを与えてしまうなど不本意な大会となった。
同年7月には元保育園勤務の女性と入籍していたことを発表した。
2008年-2009年シーズンは2部に降格したVVVに残留した。
チームでは攻撃の軸として活躍し、開幕から首位を独走するチームの原動力となった。
なお、シーズン途中からはフリーキッカーとキャプテンを任され、4月24日の対ハーレム戦に勝利し、2部優勝と1部復帰が決定した。
リーグ戦計36試合に出場した中で16ゴール13アシストをあげた活躍が評価され、2部リーグにおける年間最優秀選手賞(MVP)を受賞した。
シーズン終了後にはPSV、アヤックスなどオランダ強豪チームに加え、チェルシー、リヴァプール、リヨン、フィオレンティーナといった世界的ビッグクラブへの移籍が検討されたが、クラブが1000万ユーロ(約13億円)と高額の移籍金を設定したため交渉はまとまらず残留が決定した。
2009年-2010年シーズンもVVVで開幕を迎えることとなり、チームの中心として活躍した。
2009年5月27日のキリンカップの対チリ戦では、A代表初ゴールを記録。
冬の移籍市場において移籍金900万ユーロ(約12億円)、4年契約でロシアリーグの強豪PFC CSKAモスクワへの移籍が決まった。

2010年2月24日、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦1stレグのセビージャ戦でCSKAでの初出場を記録。
同時にチャンピオンズリーグにも初出場となった。
3月12日のリーグ開幕戦であるアムカル戦では、試合終了間際の後半ロスタイムに決勝点となるゴールを決め、チームのシーズン初勝利に貢献。
セビージャとのアウェーでの2ndレグでは、前半39分にCL初のアシストを、後半10分にはゴール約30mの位置から直接FKを決め、CL初得点をマーク。
これが決勝点となり、2戦合計3-2でCSKAをクラブ史上初、ロシアリーグ所属チーム史上初となるCLベスト8へ導いた。
この試合ではマンオブザマッチに選ばれ、さらに1stレグ2ndレグ共に欧州の複数のスポーツ紙にてCL週間ベストイレブンに選ばれている。

2010 FIFAワールドカップ南アフリカ大会日本代表に選出される。
この大会ではそれまで経験のないセンターフォワードのポジションに、大会直前に急遽配された。
グループリーグ初戦のカメルーン戦では松井大輔のクロスから決勝ゴールをあげ、FIFA選定のマンオブザマッチに選出された。
第3戦のデンマーク戦では直接フリーキックから先制点を挙げ、岡崎慎司の得点もアシストし日本の決勝トーナメント進出に貢献。
この試合でもマンオブザマッチに選出された。
決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦ではあわやゴールという強烈なミドルシュートを放つなど一進一退の攻防の中強烈な印象を残し、PK戦では4人目のキッカーを任され、失敗すればその時点で日本の敗退が決まるという大変プレッシャーのかかる場面の中落ち着いて決めた。
結果的に日本は惜しくも敗れた(記録上は引き分け)ものの、これらの活躍から、敗戦チームからは異例であり、更に今大会3度目となるマンオブザマッチに選出された。

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2005年2月21日

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