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朝原宣治

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詳細 2023年2月17日 12:27更新

朝原宣治のコミュがになんておかしい!!
ってことで作っちゃいました☆

朝原宣治ファン集まれぇ!!

【朝原宣治】(あさはら のぶはる)

小部東小―小部中―夢野台高―同志社大―大阪ガス

小部中時代はハンドボール部レギュラーで全国大会出場果たす。 陸上競技は夢野台高から始め、高3時に走幅跳でインターハイ優勝。

当初走幅跳専門だったが、1993年10月26日に行われた国体の100mにおいて、当時の日本記録である10秒19をマークして優勝し、以後、スプリンターとして注目されることになった。 当時和製カール・ルイスと呼ばれた。 愛称はノビー

2001年から、走幅跳専門を封印し100メートル専門にすることにした。 自己ベスト100m:10秒02(日本歴代2位)。200m:20秒39(日本歴代4位)走幅跳:8メートル13(日本歴代4位)

妻はシンクロナイズドスイミング、バルセロナオリンピック銀メダリストの奥野史子。

■ 所 属 大阪ガス
■ 生年月日 1972年06月21日
■ 出生地 兵庫県
■ 身長/体重 179cm/73kg
■ 自己ベスト 100m:2001年[10.02]
200m:1997年[20.39]
走幅跳:1993年[8.13]
■ 年次ベスト 100m
1996年[10.14] 1997年[10.08]
1998年[10.51] 1999年[10.27]
2000年[10.28] 2001年[10.02]
2002年[10.05] 2003年[10.23]
2004年[10.09] 2005年[10.29]
200m
1996年[21.14] 1997年[20.39]
1998年[21.73] 1999年[20.74]
2000年[20.72] 2001年[21.13]
2003年[21.14] 2004年 [20.70]
2005年[21.36]
走幅跳
1996年[8.01] 1997年[8.10]

主要大会成績
1993年 日本選手権:200m/3位
1993年 日本選手権:走幅跳/1位
1993年 アジア選手権:走幅跳/1位
1994年 アジア大会:走幅跳/9位
1995年 世界選手権:走幅跳/12位
1995年 ユニバーシアード:走幅跳/7位
1996年 オリンピック:100m/準決勝
1996年 オリンピック:400mR/予選失格(4走)
1996年 オリンピック:走幅跳/予選落ち
1996年 日本選手権:100m/1位
1996年 日本選手権:走幅跳/2位
1997年 世界選手権:100m/準決勝
1997年 世界選手権:400mR/準決勝(4走)
1997年 世界選手権:走幅跳/予選落ち
1997年 世界室内:走幅跳/予選落ち
1997年 日本選手権:100m/1位
1997年 日本選手権:走幅跳/1位
1999年 世界室内:60m/準決勝
2000年 オリンピック:400mR/6位(4走)
2000年 日本選手権:100m/1位
2001年 日本選手権:100m/1位
2001年 世界室内:60m/準決勝
2001年 世界選手権:100m/準決勝
2001年 世界選手権:400mR/5位(4走)
2002年 アジア大会:100m/2位
2002年 アジア大会:400mR/2位(4走)
2002年 日本選手権:100m/1位
2003年 世界室内:60m/予選落ち
2003年 日本選手権:100m/2位
2003年 世界選手権:100m/準決勝
2003年 世界選手権:400mR/7位(4走)
2004年 日本選手権:100m/2位
2004年 オリンピック:100m/2次予選
2004年 オリンピック:400mR/4位(4走)
2005年 日本選手権:100m/2位
2005年 アジア選手権:100m/4位
2005年 世界選手権:100m/2次予選
2005年 世界選手権:400mR/8位(4走)

■パリGL
昨年はローザンヌGPで2位となり、急きょ、3日後のパリGLに出場(場所はサンドニ)。しかし、10秒26(+0.4)で9人中8位。「スタートでなぜか出遅れ、中盤からは走りのタイミングがずれてしまった。このメンバーではどうしようも追いつけない」

■9秒台
昨年のシーズンイン前に「室内の走りや練習内容から出せると判断」(朝原)。実現すれば黒人選手以外では世界初。ヨーロッパのグランプリ転戦で狙ったが失敗。

■9秒台へのポイント
1番目は「体の中心から動き出すイメージ」(朝原)。外国選手の動きからヒントを得た。2番目は「スタート直後の頭の位置」(朝原)。軸を作って、地面からもらう力を逃さないようにする。3番目は「加速段階を長くする」(朝原)。前半をリラックスした走りでスピードを落とさないことが、終盤の失速を防ぐ(昨年6月取材時)

■アジア大会は調整ミスか?……昨年の釜山アジア大会は金メダル確実と言われたが10秒29の2位。中盤でリードを許し、後半追い込んだが最後は再度引き離された。優勝したサウジアラビア選手の記録は10秒24。10日前の全日本実業団では10秒12で走ったばかり。「体調はすごくいいのに、空回りした走りになっていた。この大会で一発(9秒台を)狙おうと、練習量を落としましたが、落とし過ぎたのかもしれません。体調は上がっていたのに、走りの感覚が狂っていました」

■日本新
100 mで日本記録更新3回。93年10秒19、96年10秒14、97年10秒08。97年の10秒08はアジア新だったが、翌98年に伊東浩司が10秒00と更新

■グランプリ
昨年7月のローザンヌ・グランプリで2位。日本選手の短距離種目過去最高順位。大阪ガスの新入社員・為末大と同じ試合に出ることが多かったが、2人ともに自然体で、お互いストレスなく一緒に行動している雰囲気

■グランプリでの日本新
97年ローザンヌで日本人初の10秒0台(08)。伊東浩司が翌98年の日本選手権で日本タイを出したとき「グランプリで出した朝原の記録の方が価値が高い」と強調。男子100 mの海外での日本新は68年メキシコ五輪の飯島秀雄以来

■中学時代
ハンドボール部

■高校時代
陸上競技の強豪とはいえない夢の台高。2年でインターハイ3位になったとき「2位と同記録だったので、自分も表彰台の2位の所に上がれると思っていた」。同記録の場合、セカンド記録で順位をつけることを知らなかった。3年時のインターハイは走幅跳優勝、100 m準決勝止まり。伊東浩司の弟と同学年。3年のインターハイでは4×100 mR(予選止まり)の3走・伊東弟、4走・朝原

■走幅跳
インターハイ(90年)は走幅跳で優勝。93年のアジア選手権では日本歴代2位(当時)の8m13で優勝。97年の世界陸上までは「自分は走幅跳選手」と公言。98〜99年と足首を故障し、以後は足首への負担を考えて封印した形に

■留学
大阪ガスに入社した95年からドイツ・シュツットガルトに。2001年からはアメリカ・テキサス州のオースティンに。現在のコーチ、ダン・パフはアトランタ五輪100 m金メダリストのドノバン・ベイリー(カナダ)らを指導

■海外経験
日本の陸上競技史上、最も海外経験が豊富な選手と言われている

■不動のアンカー
4×100 mRナショナル・チームでは常にアンカーを任される

■アジア記録
97年世界陸上アテネ大会は準決勝止まりだったが38秒31のアジア新。シドニー五輪でもアジア・タイ。両レースとも2走・伊東浩司、4走・朝原

■ジンクス
2度のアジア記録の一方、朝原がアンカーを務めたレースには不運がつきまとう。96年のアトランタ五輪は3走とのバトンパスに失敗。97年の世界陸上は準決勝全体で8番以内の記録だったが組み合わせの不運で落選。シドニー五輪は3走・末續慎吾がレース中に故障を起こし減速しながらのバトンパス。エドモントン世界陸上も3走・藤本俊之が隣のレーンの選手と接触して大幅に減速

■ノビー
愛称はノビー

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