長い間「聖武天皇」の生涯を描こうとするものの、その正体と真実は未だに五里霧中の中に有ります。
歴史的な現象面の把握、その意味での空間軸・時間軸・世界軸などを顧慮すると、ますますその姿は遠ざかるようです。
歴史ものは「因果関係の把握」と言われるものの、容易ではありません。
しかしながら、私自身に「いつまでも」時間のある訳ではなく、いずれ挫折するやもしれません。
今までに書き貯めて来たものが有ります。自分自身に描き切れずとも、後に「誰か」が、また挑戦するでしょうか。
「これが資料になるのか」の疑問も有るでしょうが、その描き貯めたものを、追って「掲示」して行きたいと考えます。
まだ、多くが未推敲であり「人前に出せるものではない」の意識も働きますが、「自身への頸木」として発表して行きたいと思います。
そしてここでは「これ」を建築物の構造物に見立てて「積み木・階層・ブロック」を組み立てるように描こうと考えています。
「歴史」あったことを基本に、「文献資料」を読み、今は自身により推論し、再構成し「骨組み」を組上げている段階です。
それをブログに「箱書」して保存して、見れるようにしています。
よって「問題意識」の持ち上がる所より「良く描く」しているのですが、その「接続とパーツ」が不足しています。
★ したがって「筋道を立てて読む」ことをすると意味不明な文書の集積となります。
★ 映画のフィルム仕立てではなく、まだその時々のフォトでしかありません。
★ およそ「この時代の歴史好き」でないと、まだ読めない「代物」でしかありません。
私の視点は一点にあります。
☆「万教同根」という発想です。全ての事は人間に還元されるという、その思い上がりです。
「人間だから・人だもの」という、視点です。
尚、筆者は無神論に近い、「神道」に傾倒しています。
それは御霊信仰ではなく「御魂信仰」に近い。
「一寸の虫にも五分のたましい・まして、人だもの」と、考えるのですね。
現在「生命連鎖」の頂点に立つのは人間に他なりません。世界に散らばる核弾頭の数で有れば地表を全て焼きつくすことも可能でしょうか。
そのような「恐ろしい人間」には、成りたくないですね。 o(〃^▽^〃)o
天災と疫病の頻発する中の大仏建立、その中で
「万物の動植、悉く栄えむ」とする聖武天皇の思想は如何に。これを追求してゆきます。