ben davis ベンデイヴィス
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ワークウェアが基本の人。
トイレの後はパンツで手を拭く人。
類人猿好きな人(ぬるま湯につかった成金猿以外)
dickies,redkap好き、でも鋲ベル付ける時はbenD♪
サンフランシスコが好きな人。
dickies全色そろえちゃった人。
スケートの時はdickies
デートの時はredkap
セックスの時はben davis
とりあえずバカな猿とは一緒にしないでください。
トピ立て自由。
勝手にしてくれ。
dickiesはコチラ
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☆うんちくは拾い物ですが、、、★
ジャコブ・デービスは1834年にラトヴィアの首都リガで生まれました。
アメリカに移民して1850年代にサンフランシスコにやって来たが、1860年代は生活の為に西側を転々としました。
1870 年にネバダ州のリノに定住してからは正装の仕立て屋と、テントや強度を増す為に銅のリベットをほどこした帆布で出来たホース・ブランケット等の実用的な物の工房を営業しておりました。
1870年末に1人の女性がデービスの工房に、体の大きな夫の安物のズボンを持ってきました。その時、デービスはワークパンツに糸でポケットを縫っただけの物はは必ずしも丈夫では無い事に気付き、ホース・ブランケットで強度が増すであれば同じようにパンツに付いたポケットも丈夫になるのではないかと考えパンツのポケットにリベットを付けてみるのでした。
1871年頃になるとデービスは彼の作ったパンツに普通のようにリベットを付けます。最初はズック製のズボン、そしてスグにデニムのズボンにも応用しました。
やがて他の仕立て屋も真似をするようになり、彼は彼の生地のサプライヤーであったリーバイ・ストラウスに、特許権を取るのを手伝って欲しいとコンタクトを取りました。1873年に特許権を収得し、リーバイ・ストラウスの会社でのリベット付きズボンの制作を監督する為にデービスはリーバイにサンフランシスコに招きました。デービスは彼が死亡した1908年までリーバイ・ストラウスの工場で監督を続けたのです。
同年にデイビスが持っていたリベット付きズボンの特許権は消滅しました。
その後、アメリカ経済が不況の最中であった1935年に、21歳のベン・デービスが何かに導かれるように、ワーキングクラスの為の服を作る会社ベン・デービス・マニュファクチュアリングを設立しました
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