ラメッシ・バルセカール(Ramesh S.Balsekar 1917―2009)は、1917年にインドの中流家庭に生まれた。イギリス留学後、インド有数の銀行に勤め、最後は頭取になって手腕を発揮した。銀行を定年退職後、長年の関心だった「私とは何か?」を本格的に探求し始め、ほどなく同じ町に住むニサルガダッタ・マハラジに出会い、覚醒。以後、死ぬまで(昨年の9月に92歳で逝去)数十年間、ニサルガダッタ・マハラジの教えの継承者として、ムンバイの自宅や欧米で、真実の探求者にサットサン(「真実と交わる集まり」くらいの意味のアドバイタ哲学の用語)を行う。私生活では、ゴルフ等、スポーツの愛好家であり、よき父親、夫、祖父だった。
「探求者が理解すべき最も重要なことは、『誰も』探求者であったことはなかったといういことです。」 / 『ラメッシ・バルセカールのユニークな教え』(高木悠鼓訳)
誰がかまうもんか?!
毎日、その弟子は自分の進歩を書き綴って、グルに手紙を送っていました。
最初の月、彼は次のように書きました。「私は意識の拡大を感じ、宇宙との一体感を体験します」グルはその報告を一読すると、その手紙を投げ捨てました。
次の月、彼は次のように書きました。「私は、あらゆるものの中に、聖なるものがあるとことをついに発見しました!」グルはそれを読んで、失望したようでした。
三ヵ月目、その弟子の文面は、熱狂的に叫んでいました!「一なるものと多様性の神秘が顕現し、私はそれを見て驚いております!」グルは首を振って、その手紙をまた投げ捨てました。
その次の月の手紙にはこう書かれていました。「誰も生まれず、誰も生きておらず、それゆえ誰も死なない。と言うことは、エゴの自分というものは存在しないからです!」グルは完全に絶望したと言わんばかりに両手を上げました。
それから、手紙が来ないまま二ヵ月、そして五ヵ月、ついには丸一年が過ぎ去りました。グルは弟子が自分の霊的進歩について、そろそろ知らせが来てもいい頃ではないかと催促しました。
すると弟子から手紙があり、こう書かれていました。「誰がかまうもんか」この言葉を読んだ時、大いなる満足の様子がグルの顔面にひろがりました。