明智光秀の筆頭家老であり、講談の左馬之助湖水渡り伝説の主人公である、明智左馬之助秀満こと「三宅弥平次」。そして彼こそが徳川家康の側近である黒衣の宰相こと「天海大僧正」ではないのかと思う人が集まるコミュニティ。
秀満について
・当時の記録では弥平次、秀満。細川家文書では光俊、太閤記などでは光春。
・丹波の波多野氏攻めなどで活躍。
・父親の明智光安(三宅長閑斎光康)は、光秀の養父で福知山城代を務める。
・荒木村重に嫁いだ光秀の娘を救出し、再婚相手となり明智左馬之助の名を与えられる。
・カプコンの『鬼武者シリーズ』で主人公明智左馬介のモデル。
・坂本龍馬の先祖という説がある(明智桔梗紋を使用)。
天海について
・葦名氏の娘婿で家臣の船木氏の子だと言う。
・日光東照宮の建立や坂本城の領内にあった比叡山の再建に努める。
・三代将軍徳川家光の乳母となった、明智光秀の家老の一人、斎藤利三の娘の春日局に崇拝されていたとされる。
左馬之助=天海説について
・太閤記などでは坂本城で一族を刺し殺し自害したことになっているが、多くの一族が脱出していることが明らかになっている。
・信頼性の高い記録での生年は、天海の1536年、秀満は1535年又は1537年でほぼ一致。
・天海は家紋に丸に二引き両紋と三宅輪宝紋を用い、光秀は三宅氏を名乗り、一族が明智遠山氏の家老を務めている。
・天海が名乗った船木氏に、秀満は近い関係(側近であり土岐支族)にある。
その他
・光春(秀満)の物とされる兎耳の兜は、江戸時代前期のもの。天海となった後の物である可能性は残されているかもしれない。
・春日局やお梶の方という関東移封後の徳川家康にとって重要人物たちの中に入って、古参家臣と新参家臣の間に立ったと考えられる。