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ジェレミー・リン

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詳細 2017年7月10日 17:52更新

ジェレミー・リン(Jeremy Lin)ことジェレミー・シューハウ・リン(Jeremy Shu-how Lin,中国語: 林書豪、1988年8月23日 - )はカリフォルニア州ロサンゼルス出身のバスケットボール選手。NBAのヒューストン・ロケッツに所属している。ハーバード大学の卒業。NBA初の台湾系アメリカ人選手である。両親は台湾出身である。

大学入学まで
カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれ、バロアルトにて育つ。幼少期は地元のYMCAで兄弟とともにバスケットボールをプレイした。高校はカリフォルニア州のパロアルト高校に進学。キャプテンを務めた三年生時にチームはカリフォルニアのCIFディヴィジョンで32勝1敗を記録した。リンは平均15.1ポイント、7.1アシスト、6.2リバウンド、5.0スティール[1]でディヴィジョン2の1stチームに選出された。
大学
リンは自身のプレイのハイライトを録画したDVDを全てのアイビー・リーグの大学、カリフォルニア大学バークレー校、スタンフォード大学、そしてリンの憧れであったUCLAなどに送ったが[1]パシフィック・テン・カンファレンスの大学は彼にウォーク・オン(スポーツ奨学金以外での入学)を望んだ。ハーバード大学とブラウン大学は彼のバスケットボールチームでのプレイを保証したがアイビー・リーグの大学にスポーツ奨学金の制度はなかった[1]。最終的にリンはハーバード大学への入学を選ぶ[1]。(この件に関してゴールデンステイト・ウォリアーズのオーナーの一人でスタンフォード大学のファンでもあるジョー・ラコブは「スタンフォード大学がリンをリクルートしなかったのは実に愚かなことだった。少年(リン)はすぐそこにいたというのに気づいていなかったのだから。」と述べている。)
リンは2007-2008年の2年生時にオールアイビーリーグでセカンドチームに選ばれている。3年生時には27得点8アシスト6リバウンドの活躍で、82-70で全米ランク17位のボストンカレッジを破っている。(その3日前にボストンカレッジは全米1位のノースカロライナ大学を破っている。)
4年生時は平均16.4得点、4.4リバウンド、4.5アシスト、2.4スティール、1.1ブロックを記録しオールアイビーリーグのファーストチームに選ばれる。また、ジョンウッデン賞にもノミネートされた。リンはアイビーリーグで初めて1450得点、450リバウンド、400アシスト、200スティール以上を記録した選手としてキャリアを終えた。(リンの記録は1483得点、487リバウンド、406アシスト、225スティール。)
リンは3.1のGPAで卒業した。
NBAキャリア
仮にドラフトされていれば、アイビー・リーグからドラフトされるのは1995年の2巡目で指名されたペンシルベニア大学のジェローム・アレン以来となるはずであった。アイビー・リーグの選手が最後にNBAでプレイしたのは2003年のクリス・ダドリー(イェール大学)であり、ハーバード大学出身となれば1954年のエド・スミスにまでさかのぼる。
結局2010年のドラフトでは指名されなかったが8チームがトライアウトに招待した。ところがリンは「トライアウトは1オン1、2オン2、3オン3などがメインで、それでは自分の良さが出ない。」として参加しなかった。その後サマーリーグに参加し、ダラス・マーベリックス、ロサンゼルス・レイカーズおよびいくつかの東カンファレンスのチーム(名前は明らかにされていない)から契約を提示されたが、最終的に「自分のホームタウンでプレイしたい。」としてゴールデンステート・ウォリアーズと2年契約を結んだ。
ゴールデンステート・ウォリアーズ
ウォリアーズでは29試合に出場、平均2.6得点をあげた[1]。サンフランシスコ沿岸はアジア系アメリカ人が多く、リンは熱狂的に歓迎された。初めて出場した時にはリンがボールに触れる度にオベーションをもって会場が盛り上がり、地元の新聞紙は「カルト的なファンがいた」評している。リン自身も「とても感動した。決して忘れられないだろう。」とコメントしている。
NBAデベロップメント・リーグのリノ・ビッグホーンズ行きを命じられ20試合に出場、平均18.0得点、5.8リバウンド、4.4アシスト、2.1スティール、シュート成功率47.7%、3ポイントシュート成功率38.9%の数字を残した。ロックアウト終了後の2011-12シーズン開幕前の12月9日にウォリアーズはフリーエージェントとなるデアンドレ・ジョーダンの獲得を狙い、サラリーキャップをあける目的でリンを解雇する[1]。その後、ヒューストン・ロケッツと契約するが、すぐに解雇された[1]。
ニューヨーク・ニックス [編集]
2011年12月27日、ニューヨーク・ニックスと契約したが、2012年1月20日にDリーグ行きを命じられる。その後Dリーグではトリプルダブルを記録し、1月23日にはニックスのロースターに復帰する。2012年2月4日のニュージャージー・ネッツ戦で36分の出場時間を与えられると、リンはチーム最多となる25得点および7アシストにターンオーバーはわずか1という高いパフォーマンスをみせる。二日後のユタ・ジャズ戦でキャリア初のスターターとして出場すると28得点8アシスト、続くワシントン・ウィザーズ戦ではダンクシュートを含む23得点10アシストでキャリア初のダブルダブルを記録。さらに続くロサンゼルス・レイカーズ戦ではキャリアハイ(そしてチームのシーズンハイ)となる38得点7アシストという大爆発で勝利。カーメロ・アンソニーとアマーレ・スタウダマイアー両選手不在間のチームを全勝に導き、チームは7連勝を記録した。
2月6日から2月12日までのプレイヤー・オブ・ザ・ウィークに東カンファレンスから選出され、各紙は"Lin-Sanity"(Linと"尋常でない"という意味を持つ単語の"Insanity"をかけた造語)と大きくされた。
突然の大活躍をうけ、NBAオールスターゲームのライジング・スターズ・チャレンジへの出場が急遽決定した。4月にはタイム誌より世界に影響を与える100人に選ばれた。
キャリアハイ
38得点。2012年2月11日。ロサンゼルス・レイカーズ戦。
14アシスト。2012年2月20日。ダラス・マーベリックス戦。
7リバウンド。2012年2月21日。ニュージャージー・ネッツ戦。
5スティール。2012年2月20日。ダラス・マーベリックス戦。
主な記録
初先発出場から2試合連続で20得点以上。(2003年のレブロン・ジェームズ以来。NBAの歴史でも6人しか達成していない。)
初先発出場から最初の3試合で89得点、4試合で109得点、5試合で計136得点。(それぞれNBA記録。)
初先発出場から最初の6試合全てで20得点7アシスト以上。(NBA初。)
その他
その名を一躍全米に知らしめた2012年2月4日の対ニュージャージー・ネッツ戦の前日はランドリー・フィールズの家のソファで寝たという逸話がある。
リンは一週間で25得点、28得点、38得点と、キャリアハイを3度更新するという珍しい記録を残した。
両親は台湾出身である。リンはYouTubeのインタビューで「自分が中国人であることを誇りに思う。また、両親が台湾人であることも誇りに思う」と語っている。
大学時代に対戦相手大学の体育館で「今日ここでバレーボールの試合はないよ」(暗に黄色人種がバスケットボール選手のはずがないという意味)と言われたことがあるという。
兄と弟がおり、弟はハミルトン・カレッジでバスケットボールをプレイしている。
台湾代表チームから誘いがあったが、リンは「自分が台湾を代表するのにふさわしいかどうか、まだ判断しかねる」と返事を保留している。
敬虔なクリスチャンでもあり、将来は牧師としてNPO活動を支援したり、地域共同体のために働きたいと語っている。

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