自己紹介はこちらでお願いします。
http://
−本多平八郎忠勝−
徳川四天王・十六神将の一人。57度の合戦に出陣し、一度も傷を受けなかったという。その活躍は、金ヶ崎の退き口に始まり、家康が信玄に誘い出された三方ヶ原での殿軍、本能寺直後の家康の伊賀越えと、常に主君・家康の命を守って忠義を尽くした。小牧長久手では家康本軍と離れ、忠勝隊のみで秀吉本軍と激闘と、武勇は尽きない。信玄や秀吉ら敵将から「花も実もある猛将」「古今独歩の勇士」「家康に過ぎたるもの」と褒め称えられた。
信長から日本の張飛と評されたのも有名。
娘婿、真田信之のため真田親子助命を家康に懇願するが、聞き入れられず。家康相手に戦も厭わぬと啖呵を切り、驚いた家康が高野山麓まで追放の減罪に留めている。義に熱き武将だった。
黒糸縅の鎧に鹿角をあしらった兜を着用し、止まったトンボが真っ二つに切れたという名槍「蜻蛉切」を携えて鬼神のごとき勇猛さを発揮した。
しかし、彼の実力は戦場だからこそ活かされるもので、家康の覇権が確立すると忠勝の存在意義は薄れ、伊勢国桑名十万石の城主として生涯を終える。
トピ立てなどご自由にどうぞ☆
−関連コミュニティ−
徳川家康
http://
徳川四天王
http://
−参考サイト−
本多忠勝(ウィキペディア)
http://