岡山の楯築遺跡の発掘以来、特殊器台の歴史が整理され、前方後円墳体制の形成に吉備が非常に多くかかわってきたことが解明されてきた。しかしこの事実さえも、邪馬台国大和説の補強に使われている。
岡山に住む我々は、今までちゃんと語られることのなかった「吉備邪馬台国説」を、民間の立場から楽しく論じ、遊びながら様々なイベントもむ仕掛けていこうと思う。
吉備では、その時点で日本最大のお墓を作った時期が二度あった。一つは楯築弥生墳丘墓であり、もう一つは造山古墳である。前方後円墳体制では、その時期の最大のお墓は天皇陵ということになっているのだが、だとすればこの理論は吉備において自己矛盾を起こしている。この謎の解明を、大胆な推理を交えて語りつくそう。