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武内靖彦
振り出し
1971年、高円寺会館(現/座・高円寺)で「單獨處女舞踏會」を開いた。40年になる。
四十年といっても「今さっき」といったふうな不思議な感じなのだ。歳をとるとそんな時間の感覚になるものなのか。双六でいえば「振り出し」に戻ってきた訳だ。なんだか「上り」のない双六に無知が賽子振って、足を洗い損ねてここまで来た感がなくもない。勿論、誰かに恐喝されたり、嘆願されて続いている訳ではない。自分で決めた事である。自分で決めた事に決められるような窮屈な、困惑ぎみな、義務の犠牲者な昔もあったけど、六十の坂にかかって「諦め」もついたか、面白くなってきた。「諦めきれなさ」の残党が「諦め」を運んでいるような案配なのかもしれない。一事が万事かくも遅い。
如何な老婆心だか、助言だか「エッ、まだやってるの?」とか「やってりゃいーつーもんじゃねーよっ!」とか挨拶されることがある。無名暮らしが永いと色々な友をもつ。
舞踏よりの召喚。まるで舞踏の裁判所からの呼び出し状の如し。
昨今「舞踏」と呼ばれているモノにいっかな馴染めず、少し距離を置いたらこんなタイトルになった。舞踏公演へ舞踏を観に行くことになんの疑いももたなかったのが、土方さんが亡くなられた辺りからだろうか、舞踏公演から舞踏が消えたな、と思えるようになってきたのは。尤も、土方さん自身晩年には「舞踏はドブに捨てよう」なーんって言ってたから、今はドブ浚いをしている事になるのかしら? ドブ浚いではないけれど、舞踏は徒花、ドライフラワーにしなければ、と思ったことはあったけど。
「舞踏」は在るという信仰や、在って欲しいという願望や、在るはずだという迷妄や、在らねばならぬというヒステリーが錯綜し、今は取り敢えずジャンルで蓋し、ダンスで梱包し、文化のリボンを付けているかに見える。
もし、舞台の上に「舞踏」が現前だか、顕現だか、降臨でもした日には、それを奇跡と呼ぶべきか。そのような舞踏の神が微笑んだ舞台にはついぞ、お目にかかった例しはないけれど、こちらとて手をこまねいている時間はない。神が愚図るようであるならば、首に縄付けてでも引きずり出すなり、燻り出すなりし、たとえ歪んでいようとも微笑んでもらはなければなるまい、それが礼を尽くすということだ。怖々と俎上に載せる心境の今回ではある。
1947年福岡県生まれ。
1968年土方巽「肉体の反乱」を観て衝撃を受ける。
1971年初めてのソロ舞踏公演「單獨處女舞踏會」(高円寺会館・現「座・高円寺」)を行う。
1973年舞踏家大野一雄氏に師事。
今日に至るまでソロ舞踏公演を継続。
現在、シリーズ素型原寸 考、パンドラの柳行李を続行中。
1992年第23回舞踊批評家協会賞を師大野一雄と同時受賞受賞。