『人間には幻想が必要なんだ』
1966年にアントン・ラベイによって創設された悪魔教。彼の崇拝する悪魔とは、世間一般で考えられている悪魔とは、だいぶ異なる。
サタンは、人間に罪を犯して悪に服従するようなことは要求しない。彼の目的とは、他の宗教とは異なる方法での人類の救済である。人間に自由奔放に生きることを薦め、それによってこそ真の人間理解を得ることができるとする。
人間の心の中には秘められた自由奔放な欲望や強いパワーがある。これを解放する者は、高みから人間を見下ろし家畜や奴隷のように人間を扱う者では断じてない。強い反逆心を持つ人類の同胞でなければならない。
その教えは、時の流れの中で荒んでしまったいくつかの宗教の礼拝と儀礼の束縛、そして社会に溢れる既存のモラルの束縛からの解放をめざし、快楽と放逸を求めるもの。
つまり、悪魔崇拝とは宗教というより、人種学である。その実体は「合理主義」と「自己保存主義」であり、本来は世俗的で健全な思想である。単にそれを「宗教」というオブラートで包んでみたものにすぎない。
---悪魔聖書の最初に記されている悪魔の定義---
1.悪魔は節制ではなく放逸を好む。
2.悪魔は幻想ではなく実存である。
3.悪魔は偽善に満ちた自己欺瞞ではなく、優れた叡智である。
4.悪魔は敵を愛するような不合理なことをして愛を浪費しない。愛するに値する者のみに恩恵をもたらす。
5.悪魔は「右の頬をうたれたなら左の頬も向けよ」などと不合理な要求はしない。復讐を要求する。
6.悪魔は責任を負うべきものに対して責任を持つ。
7.悪魔は野獣のごとき人間である。それは、現実にいる動物よりも賢く、時には愚かになる。高度に発達した精神と知性のために、恐ろしい獣となる。
8.悪魔は、いわゆる「罪」といわれるものを認める。なぜなら、それらの多くは肉体的・精神的な欲求を満たしてくれるものだからである。
8.悪魔はキリスト教においてさえ、人類の親友であった。彼は太古の昔から、ずっとそうであった。
---悪魔教の教え---
1.人から求められない限り、自分の意見を口にするな。
2.聞きたがる人以外には、自分の悩みについて話すな。
3.郷に入らば、郷に従え。さもなくば、その郷から出てゆけ。
4.あなたの郷に入って来たのに、あなたに敬意を示さない客は、遠慮なくぶちのめせ。
5.相手の同意の無いセックスをしてはいけない。
6.自分の物でもない物を奪ってはいけない。さもないと、奪われた人は悲鳴をあげ、助けを求める(そして、結果的にあなたが損をすることになる)。
7.呪術を行って効果があったら、素直にそれを信じること(それが科学的かどうかなど、どうでもよろしい、人間には幻想が必要なのだ)。
8.自分の利益と関係ないものに、文句をつけるな。
9.小さな子供を傷つけてはいけない。
10.人間以外の動物を傷つけてはいけない。ただし、自分の身を守る等、必用な場合は許される。
11.公共の場で他人に迷惑をかけてはならない。また、迷惑を受けたら注意せよ、聞かないようなら、ぶちのめせ。
---悪魔教においての罪---
愚鈍、知ったかぶり、唯我主義、自己欺瞞、集団への同調、見通しの欠如、過去の権威の忘却、非生産的な自尊心、美意識の欠如。
ラヴェイ 〜20世紀の悪魔崇拝〜
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セトの寺院
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※このコミュニティーは反キリスト教・反ユダヤ教を目的としてはいません。悪魔教にひとつの哲学として興味がある人のためのものです。
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