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特高−特別高等警察

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詳細 2023年8月13日 20:42更新

 画像は初代警視庁特別高等警察部長(1932-37)で、「赤狩り安倍」と呼ばれ恐れられた安倍源基。

特別高等警察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ)は、第二次世界大戦前の日本において、日本の主要府県警の中に設置されていた政治警察である。

県知事や警察部長の指揮を受ける一般の警察と異なり、内務省から直接に指揮を受ける特殊な警察組織であった。一般には略称の特高警察(とっこうけいさつ)や特高(とっこう)の名で呼ばれる。

歴史
無政府主義者による天皇暗殺計画とされた大逆事件(幸徳事件)を受け、1911年、警視庁に、従来あった政治運動対象の高等警察からわかれて、社会運動対象の特別高等警察課が設置された。これが特別高等警察の始まりである。このとき、地方長官や警察部長などを介さず、内務省警保局保安課の直接指揮下に置かれた。1913年の警視庁官制の改正によって、特別高等警察・外事警察・労働争議調停の三部門を担当する課として位置づけられた。

1922年に日本共産党が結成されると、翌年1923年には大阪府や京都府など主要9府県の警察部にも特別高等課が設けられ、1925年には治安維持法が制定され取り締まりの法的根拠が整備された。三・一五事件をうけ、1928年には「赤化への恐怖」を理由に全府県に特別高等課が設けられ、また、主な警察署には特別高等係が配置され、全国的な組織網が確立された。1932年に警視庁の特別高等警察課は特別高等警察部に昇格する。特高警察を指揮した内務官僚には安倍源基や町村金五(町村信孝の父)などがいる。

1932年に岩田義道、1933年には小林多喜二に過酷な尋問を行なって死亡させるなど、当初は、共産主義者や共産党員を取締りの対象としているが、日本が戦時色を強めるにつれ、挙国一致体制を維持するため、その障害となりうる反戦運動や類似宗教(当時の政府用語で、新宗教をこう呼んだ。『似非宗教』というほどの意味)など、反政府的とみなした団体・活動に対する監視や取締りが行われるようになった。第二次世界大戦中には「鵜の目鷹の目」の監視網を張り巡らせたほか、横浜事件など言論弾圧といわれる事件をひきおこした。

敗戦後は進駐軍の不法行為の監視を行った(特殊慰安施設協会参照)。第二次世界大戦終戦直後の1945年10月4日、GHQの指令により、治安維持法と共に廃止された。特高警察に関連する官僚たちはほとんどが他の機関と同様に公職追放されたが、GHQの占領政策の転換に伴う公職追放者の処分解除(逆コース)により、後に、旧自治省・警視庁・公安調査庁、日本育英会などの上級幹部職に復職する者もいた。また、GHQの占領政策において社会主義運動に対する制限が設けられたこともあって、特高警察から問責・処罰の対象となった者はなく、元特高警察関係者はGHQの方針にしたがい、レッドパージの先鋒としての役割をになった。

政界への転身者も多く、柳河瀬精によれば、国会議員だけで衆議院41人、参議院13人に上っている。

関係した事件
京都学連事件(1925-1926年)
三・一五事件(1928年)
四・一六事件(1929年)
赤色ギャング事件(1932年)
熱海事件(1932年)
岩田義道拷問死(1932年)
小林多喜二拷問死(1933年)
野呂栄太郎拷問死(1934年)
死のう団事件(1933年、1937年)
大本事件(1935年)
ゾルゲ事件(1941年)
横浜事件(1942年-1944年)

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カテゴリ
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