青木 繁(あおき しげる)1882−1911
久留米市生まれ。
1903年 白馬会第8回展に《黄泉比良坂》などの神話画稿を出品して白馬賞を受ける。
1904年 7月東京美術学校を卒業すると、坂本繁二郎、森田恒友、福田たね とともに房州布良に行き、8月まで同地に滞在して《海の幸》など海を題材にした優れた作品を制作した。
同年の秋の白馬会第9回展に《海の幸》を発表し、画壇の注目を集める。
すい星のごとく登場し、夭折(ようせつ)した青木の生涯は悲劇の芸術家神話となり、その後あまた輩出する筑後の美術家にとって伝説的な影響力をもち続けたように思われる。