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ヴィヴィアン・リー

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詳細 2021年7月6日 15:17更新

ヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh、1913年11月5日 - 1967年7月8日)は、イギリスの女優。



・「風と共に去りぬ」はやたら長い映画だったけど、スカーレット役のヴィヴィアン・リーに惚れた。
・「風と共に去りぬ」はやたら長い映画だったけど、リーほどスカーレットを演じられる役者はいないかも。

・「風と共に去りぬ」はやたら長い映画だったけど、「哀愁」のリーを見て、リーに幻滅した(それぐらい「風と共に去りぬ」のスカーレット役がハマっていた!)

・「風と共に去りぬ」はやたら長い映画だったけど、「欲望という名の電車」のヒステックな役は、リーのイメージを崩した。

・もしかすると、リーが魅力的以上に、スカーレットというキャラクターが魅力的なのかも。。。


ヴィヴィアン・リーに惚れた人、集まりましょう。




以下Wikipediaより。

■生涯
インドのダージリン出身。本名は、ヴィヴィアン・メアリー・ハートリー(Vivian Mary Hartley)。リーはアイルランドの家系の子孫であるが、アルメニアのパルシー教徒及びインド人の祖先もいると言われている。リーは両親と共にイギリスに移り住み、彼女はそこで成長した。彼女はローハンプトンのセイクレッド・ハート修道院に入り、そこで後の女優仲間となるモーリン・オサリヴァンと出会う。その後彼女は王立演劇芸術アカデミーを卒業した。

彼女は1932年にハーバート・リー・ホルマンと結婚し、彼らの間には1933年に娘のスーザンが生まれた。彼は彼女との結婚の間、彼女のマネージャーもしていた。

女優としてのリーの経歴は、舞台演劇から始まった。彼女の初出演作は『緑の飾り帯 The Green Sash』であり、彼女をスターダムに押し上げた作品は『美徳の仮面 Mask of Virtue』であった。1935年に彼女は初めて映画『探しだされるもの』に出演した。しかしながら彼女の最も有名な出演作は1939年の『風と共に去りぬ』であった。彼女はハリウッドに進出したイギリスの男優ローレンス・オリヴィエを追って渡米していた。ヒロインの決まらぬまま、撮影所ではアトランタ炎上のシーンが撮影されていた。その場で、プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックに「スカーレットがそこにいた!」と見いだされた。当時オリヴィエのマネージャーを務めていた彼の兄のマイロンに紹介されたのだ。そして彼女は主演・スカーレット・オハラ役でアカデミー主演女優賞を受賞した。



1940年にリーはホルマンと離婚し、オリヴィエと再婚した。彼らの出会いは1935年であり、その交際は人目をはばかることなく行われたが、当時オリヴィエの妻であった女優のジル・エズモンドは妊娠していた。ジルは後に男児を出産。彼女はリーを責めなかった。


1944年に彼女は左肺が結核に感染していると診断された。病気にもかかわらず彼女はソーントン・ワイルダー作の舞台『危機をのがれて Skin of Our Teeth』や1946年には映画『シーザーとクレオパトラ』に出演したが、それは彼女の結核を悪化させる原因となった。また、サー(Sir)の称号を得た、オリヴィエという偉大な俳優を夫に持った故に、同じく俳優として大成したい、オリヴィエの配偶者としてのレディー(Lady)の尊称ではなく、彼と同等に、女性の称号デイム(Dame)が欲しいという願望に、引き裂かれた。1951年に彼女は映画『欲望という名の電車』でのブランチ・デュボワ役で2度目のアカデミー賞を受章した。



1960年代の初めに彼女は二度流産し、結核で体力も衰えていた。さらに彼女は双極性障害に暫くの間悩まされた。双極性障害は彼女の快復の障害の大きな要因と考えられた。1960年に彼女とオリヴィエは合意の上離婚した。「レディー・オリヴィエは、オリヴィエのためなら何でもしてあげます。」と、離婚に同意したという。彼女は後に友人の俳優ジョン・メリヴェールと同居している間でさえ、ベッドサイドのテーブルに額に入ったオリヴィエの写真を飾っていた。


二度目の結婚のせいで、ホルマンと娘スーザンを捨てたかたちになっていたが、彼女は二人と連絡を取り合っていた。スーザンが初めて出産したとき、祖母になった彼女は、生まれて間もない孫を抱くことができた。女優のジュリエット・ミルズの名付け親である。他に素晴らしい孫3人にも恵まれた。


リーは慢性的な結核の末、1967年にロンドンの自宅アパートで喀血によって気管を詰まらせて死去。火葬に付された。彼女の遺灰はロンドンのサセックス、ブラックボーイズの近くにあるティッカレジ・ミル湖にまかれた。


リーはその生涯をイギリスで閉じたが、ハリウッドの人々は彼女の女優としての功績を称え、ハリウッド大通り6773番地のハリウッド名声の歩道に、彼女の名を刻んだ星型のタイルを埋め込んだ。


■主な出演作

『探しだされるもの』 - Things Are Looking Up (1934)
『田舎紳士』 - The Village Squire (1935)
『紳士協定』 - Gentleman's Agreement (1935)
『見つめて笑え』 - Look Up And Laugh (1935)
『無敵艦隊』 - Fire Over England (1937)
『間諜』 - Dark Journey (1937)
『茶碗の中の嵐』 - Storm in a Teacup (1937)
『21日間』 - Twenty-One Days (1937)
『響け凱歌』 - A Yank at Oxford (1938)
『セント・マーティンの小径』 - St. Martins Lane (1938)
『風と共に去りぬ』 - Gone with the Wind (1939)
『哀愁』 - Waterloo Bridge (1940)
『美女ありき』 - That Hamilton Woman (1941)
『シーザーとクレオパトラ』 - Caesar and Cleopatra (1945)
『アンナ・カレーニナ』 - Anna Karenina (1947)
『欲望という名の電車』 - A Streetcar Named Desire (1951)
『愛情は深い海の如く』 - The Deep Blue Sea (1955)
『ローマの哀愁』 - The Roman Spring of Mrs. Stone (1961)
『愚か者の船』 - Ship of Fools (1965)


■主な受賞
○アカデミー賞
1939年度 主演女優賞 『風と共に去りぬ』
1951年度 主演女優賞 『欲望という名の電車』

○英国アカデミー賞
1952年度 主演女優賞 『欲望という名の電車』

○ニューヨーク映画批評家協会賞
1939年度 女優賞 『風と共に去りぬ』
1951年度 女優賞 『欲望という名の電車』

○ヴェネチア国際映画祭
1951年度 女優賞 『欲望という名の電車』

○トニー賞
1962年度 主演女優賞(ミュージカル部門) 『Tovarich』

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2009年8月24日

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カテゴリ
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