今世界はグローバルだとか自由貿易だとか言って様々な問題の解決もグローバルだとか国際社会だとか言っている。そして自分の暮らしの基礎となっている色々なことがまるで手の届かない遠い所のことででもあるかのように錯覚するようにできている。
しかし、それが問題をより複雑化させ、解決をより困難な方向へ導いているのではないかと思う。分業も循環も大規模化し、国際化、複雑化するのと同時に、問題も大規模化、国際化、複雑化する。第三世界で起きる飢餓なども国際的分業と循環がもたらした犠牲といえる。あるいはもっと身近では、健康でもゴミの処理でも何でもお金が解決してくれるような錯覚が問題の解決を保留し、時には新たに問題も引き起こす。
本当は、いろいろな問題の解決というものはもっと自分の暮らしの基礎に根ざしたものとして、もっと自分の身近にあるべきなのではないかと思う。例えば、自分の食べるものを自分で作るようになれば農薬は使う必要がなくなり、自分の健康と環境の汚染は同時に解決の方向へ向かう。それから、自分の出したゴミは自分で始末するようになれば、始末に困るものはできるだけ避けるようになるから環境の汚染とエネルギーの問題は同時に解決の方向へ向かう。
自然食(マクロビオティック)には「身土不二(シンドフジ)」という考え方がある。自分が暮らす場所で旬に取れる食べ物を体に取り入れるという思想だ。これが健康の秘訣なのだ。考えようによってはこの思想は自給自足や自然農、さらには地産地消にも響き合うように思う。
身土不二、自給、地産地消、そして物を地域内で回す地域通貨、それらのものは言葉は違うけれど同じベクトル(方向)を持っているように思う。グローバルとは反対の局地志向だ。
結局は、自分に関わりのあるものは自分に近い所でまかなうということが根本から問題を解決する鍵なのではないのかと思う。
循環型社会というより、局地循環から暮らしを考える。循環の単位を小さくすることを
考えてみる。そうやってシンプルな循環の暮らしを考える。そして世界を見つめ直す。そんなだいそれた夢を見るコミュです。