日本に誇りを持つことも愛国だが、現状の日本に誇りなんか持てるか!と、はっきりと悪いところを批判できる姿勢もまた愛国である。
日本の愛国の異様さというのは、愛国者=保守思想者となっているところだ。復古主義を唱え、憲法を改正し、戦後教育を批判し、日の丸や君が代を愛し、靖国を参拝し、北朝鮮や中国を敵視し、と。これらの価値観を大事にすることが愛国の基本と扱われているようで、その反対の意見や主張については、やれサヨクだ売国奴だなんだのという話しになってしまうのだから、たまったものではない。
戦後日本が守ってきた平和主義、基本的人権の尊重、国民主権。この憲法の3本柱が好きだというスタンスや、戦後の民主主義を重んじるスタンスもまた愛国と言えるはずだ。外国人が握った寿司だろうと旨ければそれでいい、日本人の握った寿司(大日本帝国憲法)なんてマズくて食えないという主張も当然ありだ。日の丸や君が代なんてダサイからとっとと変えろ!という主張も面白いし、そうやって批判するということは執着しているからこそ批判するのであって、愛憎は裏表である。
文化や伝統に対する批判さえ許さずに、何でもかんでも過去に戻そうとする愛国主義にはウンザリだ。
もちろん、日本が培ってきた古きものを大事に、大切にする姿勢もありだが、そうしない人間を愛国者ではないとしたり、また、古き伝統を批判することも含めて違う価値観や違う視点から愛国を主張する人間に対してやれ売国奴だ、反日だ、日本から出て行けだのと騒ぐ人間については理解不能だ。そういう人間についてはなんて偏狭なんだろう?と思うし、それが日本の愛国心の正体だとしたら、なんて画一的で重苦しくて嫌な愛国なんだろう、と。そう思う。
日本人は本来、もっと大らかな国民性ではなかったか?
我が国は長い伝統を持つのと同時に、維新後は近代国家設立のために西欧の価値観を取り入れ、戦後もまた、敗戦によって西欧の人権主義や民主主義を取り入れた。入ってきたもの、古きもの、新たに作り上げたもの等々…様々な価値観が混在するのが現代日本の姿であるのだから、それらの多用な価値観を持つ人間がそれぞれのスタンスから、日本のことを考え、批判し、愛し、怒り、悲しみ。そうやって良い国になって欲しいと願う声や感情そのものが愛国ではないだろうか。右翼も左翼も中道もノンポリも、保守もリベラルも、それぞれに愛国があるはずで、愛国は保守の専売特許ではない。
また、そのようなイデオロギー的なものだけではなく、日本的なるものを一つでも好きであればそれで良いのではないかと?とも思う。日本の四季、花見、花火、浴衣、灯籠流し、蛍、落ち葉狩り、芋掘り、鍋、除夜の鐘、初詣…ごくごく身近に“日本的なるもの”は存在するし、そのような昔からのものではなくても、つい最近、日本で生まれた新しい文化もまた、日本的なるものだと思う。日本について、何か一つでも好きならばそれでいいじゃないか。もちろん、天皇陛下大好きな方も大歓迎。
<参加資格>
・異なった価値観、異なった思想信条を持つ人間が共存していられる日本が健全だと考える人
・日本の現行憲法及び、世界基準の基本的人権について重んじることができる人(改憲派でも現在のそれは重んじますという姿勢の人)
・否定と批判の区別をつけて、きちんと相手のことを尊重することができる人
・日本在住の外国人の方も歓迎します、日本に居住する方全てが日本という共同体の構成員です
※トップ画像は慣習上の国花ということで当たり障りなく桜にしました。トピ立ては自由です。
姉妹コミュ:郷土愛こそ愛国に勝る
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