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マイルス・デイヴィス

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詳細 2024年6月6日 01:58更新

トランペット、フリュ-ゲルh、オルガン奏者。

1926.5.26〜1991.9.28。

「ジャズの帝王」であり、モダン・
ジャズの旗手。クール〜バップ〜モード
〜フュージョン等、時代に応じ様々な
音楽性を追求、業界全体牽引し
没後尚、影響を与え続けている

1944年、パーカー・バンドに参加。

1947年、初リーダー作品を発表。
しかし、ビ・バップの限界を感じ
新たなジャズの可能性を追求。

1948年、「クールの誕生」制作する。

1950年代前半、麻薬癖で活動
休止するが懸命の治療で復活。

1953年、「ウォーキン」発表し、一躍
ハード・バップの旗手に躍り出る。

1955年、第1期黄金クインテット結成。
直後、大手のコロンビアと契約し、
「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」発表。
プレスティッジと残っていた契約
消化の為に「ワーキン」、「リラクシン」、
「スティーミン」、「クッキン」4作品を2日で
行なう。全て1テイクで行なった為
にマラソン・セッションと呼ばれている。

1957年、渡仏。映画「死刑台の
エレベータ」のラッシュに合わせ即興
演奏しサウンド・トラック完成させる。

1958年、キャノンボール&エヴァンス参加。
エヴァンスはクラシックの知識を持込み
マイルスに影響を与えるが観客の
人種差別に疲弊、7ヵ月余で退団
しかしその後一時的に復帰し
モード・ジャズの金字塔作品「カインド
・オブ・ブルー」の制作に尽力する。

1960年、コルトレーン退団。暫くメンバー
固定せずライブ録音中心の活動。

1964年、初来日。同年秋にショーター
参加で第2期クインテット確立する。

1968年前半迄このメンバーで活動
途中マイルスの健康状態悪化で活動
休止時期も有り録音作品多く
無いが「ソーサラー」、「ネフェルティティ」等、
優良作品発表。演奏面、作曲面で
4ビート・ジャズ最高水準迄達する

1968年、8ビートと電子楽器を導入
した「マイルス・イン・ザ・スカイ」発表。
その試みはザビヌルの協力を得て
1969年発表「イン・ア・サイレント・ウェイ」、
「ビッチェズ・ブリュー」両作品で結実
フュージョンの方向性を提示した。

1970年代、フュージョン・ブームの最中
マイルスはファンク色の強いリズムを強調
したスタイルへと進展、フュージョンとは
一線を画すハードな音楽を展開。

1972年発表「オン・ザ・コーナー」は現在
もその先進性が話題の問題作。
しかし商業的には失敗、さらに
健康状態悪化し来日ライブ録音
作品「アガルタ」、「パンゲア」を最後に
1975年〜長期休息期間に突入。

1980年、引退説も囁かれる中
マーカス等のサポートで活動再開し、
1981年、復帰作「ザ・マン・ウィズ・ザ
・ホーン」発表。ポップ色を強調し
マイケル、ローパー等の作品を取入れる

遺作「ドゥー・バップ」ではヒップ・
ホップ歌手をゲストに迎え最期迄
時代を見据え活動を続けた。

生涯、多種の音楽を吸収したが
フリーには手を染めずに批判した

スポーツ・カーやボクシングを好み復帰
以降は絵画に没頭し才能発揮。

意外にも親日家で好きな国に
日本と仏を挙げて賛辞した。

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2008年9月15日

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