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井上義夫

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詳細 2015年5月11日 21:22更新

 英文学者・井上義夫氏は1946年、徳島県を生所とする。やや挑発的に言えば、いずれ氏が亡くなられる時、日本文学はその上辺だけを残してほぼ死滅するだろう。現実と自己自身の宿命の創造、人間の本質としての魂の追求という意味での文学は潰え、知的な関心を満たすもの、或は美意識の対象としての文学だけが残るだろう。それは、もしかしたらふやふやと空疎で居心地の良い事態なのかもしれないが。抱えているものの無二無双を考えたとき、現今、その喪失の意味がもっとも深厳で深刻と言ってよいであろう稀世の文学者、それが井上義夫氏である。その筆鋒の繊鋭と雋哲を例えば江藤淳のそれに比することができる。
 現在(2008年)は一橋大学の言語社会研究科の教授を任じられ、研究者と教育者の相貌の明らかな井上氏ではあるけれども、学術雑誌「一橋論叢」に1978年に掲載された論文「ロレンス・ダレルと現在の迷路──『黒い本の周辺』」からしてすでに、学術論文の尋常を越えた、往古の文学者を想起させる堅緻で寂かな文体は完成していた。そしてその後に顕れた『ロレンス──存在の闇』(1983年)、『評伝D.H.ロレンス』(1992〜1994年)を繙けば、文学の正道を首尾一貫して見失わずに、その基準の厳しさから『チャタレイ夫人』の後半の弛緩、『アロンの杖』の破綻、『虹』の結末の恣意性、『侵犯者』完成稿の失敗、短篇「肉の棘」や「切符拝見」の散漫と粗さの指摘、ひるがえって『羽毛ある蛇』『恋する女』の細心で熱誠な評価、「プロシア士官」の文体の強度を察知し、「菊の香り」の未耕の深淵に光明を点じ、およそ一意の研究者の手堅い集成や整理におさまるはずもないその豊かな言葉の生動に、現今のいかなる文学者も凌駕する批評の厳切を見出す。それが英文学という専門の険隘より外でも発揮されるのは、『村上春樹と日本の「記憶」』(1999年)、「記憶の歩み──川端康成の誕生」(1999年)の仕事に明らかである。またD.H.ロレンスや村上春樹の評伝的な事実に接近する際の氏の、対象への畏敬を失わない節度、それでいて対象のもっとも内奥の部分まで知覚する細やかさは、敏感に治療的にはたらきかける傑れた医伯の理智をさえ思わせる。
 2003年8月、「一橋論叢」はデジタル・アーカイヴ化され、『評伝D.H.ロレンス』に至るまでの氏の論文が種々PDFで読めるようになった。今や晦匿の人になりつつある井上義夫氏を、ネットワークの交わりの内で語るのも、幾許か意味はあるだろう。

【略歴】
1972 一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了
1980 一橋大学法学部英文科助教授
1996 一橋大学大学院言語社会研究科教授

【主要著書・論文】
一橋大学デジタル・アーカイヴス(著者名「井上, 義夫」で検索)
http://www.lib.hit-u.ac.jp/service/HDA/contents.html
『村上春樹と日本の「記憶」』(新潮社、1999年)
『評伝D.H.ロレンス』(全3巻)(小沢書店,1992年,1993年,1994年)
『ロレンス 存在の闇』(小沢書店,1983年)
「保田与重郎の拡がり−ロマノ・ヴルピッタ著『不敗の条件』」(『新潮』,1999年5月)
「保田與重郎の現在」(『新潮』,1995年8月)
「死者の扶け−E.M.フォースター『ハワーズ・エンド』を読む」(『三田文学』,1995年夏季号)
「戦後との共生−三島由紀夫の裏側」(『イロニア』第十号,1995年)
「「個」の脱落−文学と宗教」(『新潮』,1996年1月)
「「性」と吸血鬼」(『新潮』,1996年4月)
「記憶の歩み−「川端康成」の誕生」(『新潮』,1999年6月)
「《母親殺し》神話としての『息子と恋人』」(『テクストの地平─森晴秀教授古希記念論文集』,2005年)

【その他】
1999年に「新潮」(1月号-4月号)で文芸時評を担当
「テクスト研究学会」学会紀要編集顧問

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2008年8月29日

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カテゴリ
学問、研究
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