イタリア・オペラの黄金期に、甘い歌声と情熱な歌唱で、一世を風靡したテノール歌手。彼の「星は光りぬ」を聴いて、オペラ好きになった人、たくさんいるんじゃないですか。私も、紛れもなくそのひとりです。今宵は彼についいてカタリ合いましょう。
<ジュゼッペ・ディ・ステファノの栄光の歴史>
1921年7月24日イタリアのシチリア島カターニア近郊に生まれる。
1935年頃からミラノの大聖堂でコーラスメンバーとして歌う。
1938年にアドリアーノ・トッキオ氏に1940年にはルイージ・モンテサントに師事する。
その後、スイスに亡命しニーノ・フロリーオという芸名でレストランや映画館で流行歌を歌う。
1944年〜
スイスのラジオで「愛の妙薬」や「外套」や「パガニーニ」に出演。EMIと契約し多くのカンツォーネなどを録音。
1946年4月、レッジョ・エミリアで「マノン」のデ・グリューを歌い、劇場デビュー。5月には同歌劇場で「真珠採り」のナディールを歌う。10月、「夢遊病の女」でボローニャ歌劇場デビュー。
1947年2月には「真珠採り」でヴェルディ・リリコ歌劇場にデビュー。ついに3月にはミラノ・スカラ座にて「マノン」のデ・グリューを歌いデビューを果たす。
1948年2月にはニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で「リゴレット」を歌いデビュー。同歌劇場では他に「マノン」「椿姫」「愛の妙薬」「ジャンニスキッキ」「ファルスタッフ」を歌う。
1950年以降はマリア・カラスとの多くの共演が伝説となり、「清教徒」「ランメルモールのルチア」「トスカ」「リゴレット」「仮面舞踏会」など多くの全曲録音をEMIに残す。
1954年には「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」、55年には「カルメン」「運命の力」、56年には「アイーダ」58年に「トゥーランドット」など、重い声の役に出演するようになる。
60年代に入るとやや声のフォームは乱れていったが、64年にはスカラ座でワーグナーの「リエンツィ」、65年にはニューヨークで「ホフマン物語」、さらに66年にはパサデーネで「オテロ」などを歌う。
74年にはマリア・カラスと共に全国を回りリサイタルを行う。
1992年に「トゥーランドット」のアルトゥムをローマのカラカラで歌い、事実上オペラの舞台から引退する。
彼は元々リリコな声質だがドラマティックな役も演じた。主なレパートリーとしては「リゴレット」「椿姫」「ラ・ボエーム」「トスカ」「友人フリッツ」「仮面舞踏会」「ランメルモールのルチア」「愛の妙薬」「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」「マノン」などを得意とした。