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SHULL MORE

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詳細 2022年12月14日 10:41更新

SHULL MORE!!とはexclamation & question・・・・知らない方のためにまずは誕生秘話など織り交ぜながら説明しよう指でOK

・・・その後、メンバーを紹介しようウインク

まず、SHULL MOREとはなんぞや?という方のために・・・

「SHULL MORE」 という名前の意味は「シュ・モイ」でフランス語である。
シュ・シーは英語のシュー・レアリズムに使うような「超える」という意味を持つ。
モイはトワ・エ・モア、ユー・アンド・ミーで「私」という意味。
私を超える「超自我」という意味合いのバンド名を命名。名前のセンスはいまだとなかなか分かりづらいものである。


(メンバー紹介)

○ 土谷修一(Vocal)

1955年生まれ 北九州門司出身
子供の頃から歌うことが好きだった。中学生の頃、ベンチャーズが流行バンドに興味を持つ。SHULL MORE の音楽的リーダー。現在、横浜在住。


○ 小林明 (Guitar)

1955年生まれ 北九州門司出身
中学生の頃、ラジオの深夜放送でアメリカやイギリスのロックシーンを知り徐々に影響を受ける。
特に影響を受けたギタリストは、ジミ・ヘンドリックスであり、自分なりのギター奏法を探り始める。
そのギターワークはシュールモアの音楽には欠かせない重要な要素である。


○ 大石雄二(Guitar)

1951年生まれ 博多出身 通称=大将(特に意味はない)
小学校5年生の時、ビートルズを聴き感動。R&B,ブルース、ハードロックと興味を持つ。
ジョンレノンをはじめ、エリック・クラプトン、ジミ・ヘンドリックス、ジェフ・ベック等、好きなギタリストを上げればキリがない。
今は、遊佐未森にはまっでいる変な56歳。


○ 熊谷賢治(Bass) 

1954年生まれ 田川出身 通称=ウメ(これも特に意味はない) 
SHULL MORE 活動休止後の1983年「MOTORS」結成。
87年に徳間ジャパンより、アルバム「ロングディスタンス」、シングル「Still I Love You」を発売。
1992年、橋あきら(元ジャガース)と鈴木タカシ(元ダウンタウンブギウギバンド)で「タブローズ」を結成し全国でライヴ活動。
1995年、帰郷。
現在は田川で「つぼやきカレーキートン」を経営している。
 

○ 植田卓生(Drums)

1955年生まれ 北九州門司出身 
中学生の時、GS(グループサウンズ)やベンチャーズの影響を受け、ドラムに興味を持つ。
高校時代、土谷・小林とバンドを結成。
70年代ハードロックにはまってしまう。もっとも影響を受けたのは、LED ZEPPELINのジョン・ボーナム。ボンゾ馬鹿という言葉はこの人から生まれたのかもしれない。今でも、そのミーハー的な感覚は失われていない。現在は、オーディオショップ「Sound Spase」に勤務。




バンド(解説)

1970年初頭、俗に言う70年代はハードロックの全盛期であった。
R&B、ビートルズの出現、そしてレッドツェッペリンをはじめとするロックバンドが続々と現れてきた。 その音楽たるや、すべてが新鮮で個性的なものばかりであった。

60年代から70年代にかけ、音楽だけでなく世の中のもの全てが進化していた時代である。
我々が「昔は良かった」と年寄りじみた事を口にするが、決して懐古趣味ではなく、文化そのものが進化し続けていた良き時代なのである。
また、当時の音楽こそ今の我々の教科書といえる価値あるものである。
彼らは、当然のごとく、その影響を受け音楽に興味をもつようになる。

彼らが送った高校時代は、音楽に興味をもち楽器にも興味をもち、バンドをつくるという決まりきった方程式があった。
それは今の時代でも変わらない。当然、彼らはその決まった方程式どおりバンドを組む。 当時は今と違い、コピーバンド主流の時代。オリジナル曲など演っているバンドはほとんど存在しなかったと思う。
ライヴハウス、ディスコでもハードロックが飛び交っていた良き時代である。

博多のライヴハウス「照和」が、後の彼らのスタートのキッカケとなる。
1972年、熊谷(b)は大学進学と同時にメンバーを集め「照和」でライヴ活動を始める。 小林(g)も別のバンドであるが「照和」で活動していた。
2年後の1974年、熊谷の率いるバンドのドラムが抜け、小林の高校時代のメンバー植田(Ds)に声がかかり参加するようになる。

翌年、お互いのバンドを抜け3人で新たなバンド「CRAZY」を結成。後に大石(g)も参加し「SHULL MORE」の基礎メンバーが揃う。

この頃から、自分たちのオリジナリティを出そうと、オリジナル曲を手がけるようになる。

そして1976年、小林の高校時代のもう一人のメンバーである土谷(Vo)を迎え、自分達にしかできない音楽、また一人欠けても成り立たないバンドを目指し
「SHULL MORE (シュール・モア)」を結成。

先にも述べた通り、彼らの音楽は、70年代の良き時代のロックでもない、日本人としてのロック音楽を探り求め、歌舞伎や能など日本の要素をとりいれた。

そして大曲「首をとれ」を完成させる。
20分にもおよぶ三部構成の大曲であり、今でもメインの曲である。
これにはさすがに驚いた。彼らのライブを幸運にも見た経験のある人々は口を揃えていう言葉・・・「あれはたまげた!!考えられない衝撃をうけたねえ」
そんな見た目も、音楽性も、セッティングもインパクトある魅力があるバンドだったのだ。

博多・北九州を拠点とし学園祭やコンサート活動を行うが、1979年、博多の「多夢」でのライヴを最後に上京。

都内でのライヴ活動をする。その後、活動休止状態になりそれぞれ個別の道を歩む。

1999年、植田(Ds)は、親友ふとがね金太の紹介で、とべない飛行船の桐原氏(b)率いる「WYNDS」に参加。

「音故知心」参加のキッカケとなる。昨年、2度目のライヴを終え「SHULL MORE」復活を計画。

活動休止から約20年を経て、5人のオリジナルメンバーで「SHULL MORE」の復活が実現したのであった。

また是非復活をしていただきたい事を願う。

メンバーさんもこのコミュに参加されているようなので100人くらいコミュの参加者があったとしたら・・・きっと復活してくれますよね。笑


こちらも、ご覧ください↓
http://zzzband.exblog.jp/

■お問い合わせ
zzz_band@yahoo.co.jp

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2008年6月29日

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カテゴリ
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