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「へんぐ」は現在
Gt/Vo:オノウエヒロヒサ
Bass:加藤恵一
Drums:瀧澤悠太(Support)
で皆様に上質で複雑難解かつ男臭さ満載のROCKをご提供しております。
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【Live Schedule】
9月12日(土) 本八幡ROUTE14
“ MORE HOT ROCKS”
w)雷鳥/Alternative Medicine/DANCE IN THE SUN/へんぐ/TRIDENT REVOLVER
open:17:30/start:18:00
前売り \1800/当日 \2000
10月16日(金) 渋谷aube
“HISTGRUM企画”
w)HISTGRUM ほか
open未定/start未定
前売り\未定/当日\未定
10月26日(月) 渋谷チェルシーホテル
w)未定
open未定/start未定
前売り\未定/当日\未定
11月14日(土) 本八幡ROUTE14
“スパイシー誕生会”
w)未定
open未定/start未定
前売り\未定/当日\未定
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【ライブ映像】
潜水感 -Shuibuya GIG-ANTIC 08.09.06
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道色 -Shuibuya GIG-ANTIC 08.09.06
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繰らし行く -Shuibuya GIG-ANTIC 08.09.06
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略歴:
2000年9月当時ベーシストだったオノウエを中心にジャンルにとらわれない、畑の違う人間たちが集まって好きなように好きなことを、時には嫌いなこともやるバンドをやらないかと発起し、それに賛同したJAZZギターリスト、FANKギターリスト、METALドラマーが集まり前身のバンドを結成。
3ヶ月あまりの間に、わらわらと10人近いメンバーが入ったり抜けたりを繰り返し、最終的にはオノウエとTommy(当時ドラム)だけが残り、二人ながらも曲作りを続ける。
この頃からオノウエがギターを引くようになり、同時にインストだった曲を再構成しメロディーをつけ始める。
2001年1月、マツオカ徹(現スケルトンズ)が主催するライブイベントに誘われたことで、当時オノウエの大学サークルで一緒にバンドを組んでいた加藤をサポートベーシストとして迎え、バンド名を「へんぐ」と命名。
この時点では、また一夜限りのバンドとして活動だったものの、2月に行なわれたイベントで思いのほか好評を得たのと、もともとオノウエと加藤がサークルでeastan youth、MOGA THE ¥5などのカバーをやっていたことがキッカケとなり加藤が気がついたら正式メンバーとなり「へんぐ」の活動を本格化。
当時、日本語詩/英語詩が混在していた楽曲を、よりストレートに伝えたいというメンバーの総意の元、すべての楽曲を日本語詩にし同時に初ライブで行った楽曲のほとんどをお蔵入りさせ、「へんぐ」として新たな楽曲作成に取り掛かる。
7月に本八幡ROUTE14にてライブ活動をスタートし、この時から月に2〜3本ペースでライブ活動を始める。
2002年、初のデモ音源を製作しライブ会場で販売を開始。これも思いの外評判がよく、驚く売れる。
同時に当時千葉中心だった活動を都内へも広げ、都内での活動にも力を入れ始める。
この頃から3ピースとは思えない音圧とそれに埋もれないオノウエの歌声、変拍子を多様する反面聞かせる激情系emoバンドとして評判となり、ライブで出会ったバンドやレーベルが主催するイベントに出演をするようになる。
2003年1月31日、オノウエがバイクを大破させる事故にあい全治3ヶ月の重症を負い一時は昏睡状態にまで陥も、翌月には折れたアバラがくっついていないにもかかわらず、ライブ活動を再開。
その後も順調にライブ活動を行い、7月には初シングルCD「のだす」をリリース。予想を上回る売れ行きで早々に完売が見えてきた矢先の12月、Tommy(当時ドラマー)が脱退のため、無期限活動休止に入る。
2004年6月に周囲の復活を望む声により、元BOOBIESのTABOをサポートドラマーに迎え復活ライブする。ただ一夜限りの復活ライブで再び活動休止に入る。
2005年、2006年とオノウエ(マニュピレーター/ギター/ベース/キーボード/ボーカル/コーラス)、加藤(ギター/ボーカル/語り)、feesleek(アコギ/ボーカル)の3人が入れ替わりボーカルをとる異色のユニット「ゆノ弐」を結成。それぞれの活動の合間に年間3本程度のライブ活動を行なう。
2007年12月再び湧き上がる周囲の声とCOATREAL 山田の強い要望によりサポートドラマーに瀧澤悠太を迎え活動休止後3度目となる一夜限りのライブを行なう。
その後も途絶えない復活を望む声に押されオノウエが復活を決意する。
2008年7月21日、本八幡ROUTE14で復活ライブを果たす。同時に復活を記念してTシャツ型ジャケット付き(着られます)限定シングルCD「人言(ひとごと)」をリリース。その後わずか三回のライブで完売。
2008年11月にはひょんな切欠によりPARSONZと競演をする。
2009年1月にレコーディング作業に入るとともに、過去に作り上げた曲の練り直しと新生へんぐの曲作りに入り、年間ライブ本数5本以上を目標に現在活動中。
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