たぐいまれなる美音感覚の持ち主
Esa-Pekka Salonenのコミュニティです。
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<プロフィール>
1958年6月30日、ヘルシンキ生まれ。
9歳頃に、まずブロックフレーテをはじめ、次にトランペットを少し習い、そしてホルンを始める。 12歳から理論の勉強もし始め、13、4歳の頃には音楽家となるであろうと言う自覚を持つようになった。
シベリウス・アカデミーの青少年部(で、 高校を卒業するまでに、フレンチホルンのディプロマを取得する。シベリウス・アカデミーに 正式に入学してからは、作曲をエイノユハニ・ラウタヴァーラ、指揮をヨルマ・パヌラに学ぶ。 卒業後、フィンランド政府から奨学金をもらい、イタリアに留学して、ニコロ・カスティリオーニの もとで作曲を学ぶ。
勉強のかたわら、1979年にヘルシンキのオーケストラにホルン奏者として入団。
同年、フィンランド放送交響楽団を指揮して、指揮者としてもデビューする。
サロネンの名が国際的に注目を浴びるようになったきっかけは、1983年9月の フィルハーモニア管弦楽団のコンサートで、マイケル・ティルソン・トーマスの代役で マーラーの交響曲第3番を指揮し、センセーショナルな成功をおさめたことである。 また、1985年5月には、フランス国立管弦楽団のコンサートで、オイゲン・ヨッフムの 代役でブルックナーの6番を指揮し、大成功をおさめている。
1985年までに、スウェーデン放送交響楽団の首席指揮者とフィルハーモニア管弦楽団とロンドン・フィルハーモニックの 首席客演指揮者を歴任。1992年に、ロサンゼルス・フィルの音楽監督に就任、2008/2009シーズンを最後に退任。2008/2009シーズンから、フィルハーモニアの首席指揮者に就任。
1977年に、フィンランドの同世代の作曲家達と"Korvat auki(耳を開け)"という現代音楽を普及させるための協会を 創設した。1983年には、ユッカ=ペッカ・サラステとともに、現代音楽の知名度を高めるためのオケであるAvanti!室内管を結成している。 他にも、ヘルシンキ音楽祭の芸術監督を務める等、故国フィンランドでの活躍も目覚ましい。
多忙な指揮活動のかたわら、作曲活動も続けていて、1992年に「Floof」でユネスコ 参加の国際作曲家会議で第1位を獲得している。
<公式サイト>
http://
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☆作曲家としての サロネン コミュニティもあります。
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