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■国会議事堂■

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詳細 2021年9月30日 19:22更新

■国会議事堂とは■

国会議事堂(こっかいぎじどう)とは、国会が開催される建物。

正面からみて左側に衆議院、右側に参議院(旧貴族院)が配置されている。

建物は左右対称だが、国会議事堂内の各議院の管轄範囲は左右対称ではなく、中央部の中央玄関、中央広間、御休所、中心の塔は参議院の管轄である。

正式名称は国議会議事堂。

警備は常に厳重で許可なしの進入は不可能。

住所は東京都千代田区永田町一丁目。

現在、永田町一丁目に立つ国会議事堂は、1936年(昭和11年)に竣工した。しかしその建設計画は、明治にまでさかのぼる。1881年(明治14年)10月、「国会開設の詔」が発せられ、その4年後に誕生した伊藤博文内閣が1890年(明治23年)の開設を目指し、取り組んだのが端緒である。

設計の段階から難航した議事堂建設は、財政難を理由に仮議事堂で急場をしのぐとされ、日比谷の内幸町(現在の経済産業省付近)に第1次仮議事堂が建設された。この仮議事堂は第1回帝国議会召集の前日、1890年(明治23年)11月24日に完成を見た。だが、翌1891年(明治24年)年1月20日未明に出火、全焼してしまい、昼夜兼行で第2次仮議事堂が再建された(同年10月)。

第1次仮議事堂の設計図2枚が2004年、見つかり、昭和女子大学が購入した。設計図は「国会仮議事堂」と記され、1枚縦約40cm、横約70cm、それぞれ絹布に1階と2階の平面図が黒と赤で描かれている。第1次仮議事堂は幅約100m、奥行き約40mの建物であった。

その後、1894(明治27)年8月に日清戦争が勃発。帝国議会も一時広島に移される時期もあったが、1906年(明治39年)、第2次仮議事堂の改修及び本格的な議事堂の建設が決まり、大正に入ってその意匠が公募された。118通の公募作品中、1等は宮内技手であった渡辺福三に決した。それを参考に設計が進められ、1920年(大正9年)1月30日、新議事堂建築に当たり、当時の首相・原敬らが参列して、現在と同じ永田町の高台で地鎮祭が行われた。ところが、新議事堂の建設が進む中、関東大震災(1923年)でも倒壊しなかった第2次仮議事堂が、改修作業中の作業員の不始末で炎上、焼失してしまう(1925年9月18日)。政府は第3次仮議事堂設置を決め、12月の通常帝国議会に間に合うよう、わずか3ヶ月で建設した。

このような苦難を経て、1936年11月7日、新議事堂は落成した。時の首相・廣田弘毅が雨の中、祝辞を述べた。資材のほとんどを国産に頼り国家事業として建設された議事堂の総工費は当時の金額で約2580万円(現在の貨幣価値で数千億円)。地鎮祭から17年が経っていた。

着工した当時は、原敬が本格的政党内閣を成立させ、その後も大正デモクラシー、憲政の常道など民主主義的、議会中心主義的な政治が行われており、新しい議事堂は日本政治の桧舞台になるはずであった。しかし、竣工した当時は、首相・廣田弘毅が軍部大臣現役武官制を復活させるなど、軍部の政治に対する影響力を認めざるを得ない軍国主義の時代であった。そのため内閣に代議士が入ることが次第に少なくなり、議事堂は竣工当初から政治的能力が形骸化していくという皮肉な結果となってしまった。

廣田首相の雨の中の祝辞は当時の日本議会政治の悲哀の象徴である。

■構造■

鉄骨鉄筋コンクリート造で、中央塔屋9階で外装が花崗岩石積みである。すべて純国産(国会内を結ぶポスト、ドアの鍵、ステンドグラスを除く)で建造されている。

延べ床面積53466平方メートル。正面からみて左側に衆議院、右側に参議院(旧貴族院)が配置されている。敷地内には他に衆参両院それぞれの別館・分館が置かれている。

構造:鉄骨鉄筋コンクリート造(地上3階(中央塔4階)、地下1階)
幅:206.36m
奥行き:88.63m
高さ:20.91m(中央塔:65.45m)

■国会前庭■

国会議事堂の正面には道路を挟んで「和式庭園」と「洋式庭園」がある。「和式庭園」は旧霞ヶ関離宮の跡地である。国会前庭の項を参照。

■中央玄関■

通常は使用しないが、衆議院総選挙や参議院通常選挙の選挙後で初めて国会が召集される日に議員が登院する時、天皇や外国の国家元首を迎える時に使用される。それ以外では1997年5月24日、25日の特別参観や2000年12月2日の特別参観で使用された例がある。

■中央広間■

天井の高さは約32.62mあり、五重塔も入る高さになっている。

また四隅には日本の憲政に貢献した伊藤博文と大隈重信と板垣退助の銅像と空の台座が置かれている。空の台座の存在理由については諸説あり、誰の銅像を置くか話がまとまらなかったという説、政治は常に未完であるのでもっと偉大な政治家になれと期待して空けてあるという説がある。銅像は大日本帝国憲法発布50年を記念して1938年2月に建てられた。

■御休所■

国会の開会式に天皇が控える場所。

■衆議院議場■

■参議院議場■

■観光■

多くの修学旅行生や団体ツアー客が毎年訪れるのみならず(衆議院の内部見学には国会議員の紹介が必要。参議院は平日に限って本会議開会中以外は誰でも見学可)、東京を舞台とする特撮映画では東京タワーと並んで怪獣達が見学(?)に訪れる東京有数の観光名所である。

戦後すぐに発行された多くの紙幣は、非常に無難なことから国会議事堂がよく採用されていた。

■交通■

■鉄道■

地下鉄国会議事堂前駅が最寄り駅となる。

■国会議事堂が登場する作品■

「ゴジラ」(1954年)
「世界大戦争」(1961年)
「キングコング対ゴジラ」(1962年)
「怪獣大戦争」(1965年)
「ドラえもんのび太と鉄人兵団」(1987年)
「ゴジラVSモスラ」(1992年)
「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」(2003年)
「鉄人28号」(2005年)
「かみちゅ!」 (2005年)
「日本沈没」(2006年)

 ・・・ 以上、Wikipediaより転載

http://www.tokyoguide.net/spot/188/ 
またたび[東京ガイド・東京観光案内、国会議事堂]



■内閣総理大臣コミュ■

http://mixi.jp/view_community.pl?id=1338554

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