島津家第17代当主島津義久のコミュです。
中興の祖と名高い貴久の長男ですが、優秀な弟達・家臣団の
影につい隠れがち。
しかし、
#時の天下人である豊臣秀吉に対し、この上なく挑発的な書状を
送りつけてみたり
#お気に入りの家臣、しかも元は敵方の家来の家柄(当時17歳の
川上久朗)をいきなり守護代にしてみたり
#困るととりあえず籤に頼ってみたり
#実のおじいちゃんが存命中にもかかわらず、元服して同じ名前を
名乗ったり
#結婚相手が前妻・後妻ともに実の叔母さんだったり・・・・
#それというのも極度のおじいちゃんコンプレックスだったり
#徳川家康の前で武功を聞かれた時に「弟たちと家臣が頑張って
くれただけで、私は何もしていません」と、謙虚なのか事実を
述べただけなのか分からないコメントをしたり
#しかもそのことで家康から絶賛されたり(笑)
#末娘を人質に取られて,哀しみのあまり秀吉がヒくほどの和歌を
詠み、結果として奪還に成功してみたり(説)
#しかし、その理由は亀寿が不器量だったからという説もあったり
(亀寿不器量はDQN家久が故意に流した説あり)
#引き蘢りかと見せかけて,犬追物などの武芸イベントはわりとこな
していたり、一応戦場には参加していたり
#でもやっぱりインドア派で、和歌が好きだったり
#といえ、対外的には細川幽斎と近衛前久くらいしかお友達がいなか
ったり
#ただし、数少ないお友達とはかなり深いおつきあいをしていたり
#こと、近衛前久(号して龍山)とは、名前や人物の好悪まで真似し
ちゃうくらいのリスペクトぶりだったり(説)
・・・・と、かなりお茶目な逸話に富んでいます。
そんな”御屋形様”(人呼んで「お留守番の達人」)を、そっと暖かい
眼で見守り続けていく方々にとっての憩いの場になれば幸いです。
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TOP画像の文字について:
蟠居西海勢堂々
虎嘯龍飛幾戦場
一見猿郎無気力
却多抛剣仏禅林
(西海に割拠し、威勢は堂々。
虎の口と龍の翼で幾戦場を駆け巡ったが、
猿(秀吉)にあっては無気力となり、
剣を抛って仏門に入った。)
「島津義久入道龍伯之像」
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