資格存続へ向けて
戦後の経済復興で国民皆年金制度が確立したのに加え、福祉政策においても、生活保護法・児童福祉法・身体障害者福祉法・的障害者福祉法・老人福祉法・母子及び寡婦福祉法のいわゆる福祉六法が整備され、福祉の充実に一定の成果がもたらされてきました。これらのことは、周知のように憲法25条の生存権を請けて、衣食住などの生活に欠かせない必要最低限度のレベルを法体系の中で個人の権利として広く認知されるに至ったことからも窺い知れます。
当初は貧困救済の性格が強かった福祉政策ですが、そのような流れの中で貧困対策以外にも生活の質を含めた文化的生活の保障までも包含する基盤が整備されるようになり、やがて福祉概念がノーマライゼーションの施策的展開の拡がりとともにウエルビーイングと称されるようになり、その影響を受けて経済的な側面以外にも波及するようになりました。例えば、公共施設や住宅などに手すりやスロープの設置などの施策はハード面での充実に繋がっていきました。もちろん、ソフト面での充実も図られていったのですがそれらはやがて社会福祉基礎構造改革と呼ばれる施策転換で民間活力の導入に始まり、福祉財源は国から地方自治体に比重が転換されていきました。いわゆる新自由主義政策の導入で自己責任の考え方、つまり市場原理主義が公的責任を凌駕する方向へとシフトしていたと言えます。
立場が不安定である社会福祉士は厚労省の下請け的な役割を引き受けなければ、その資格の存在意義を認められないというジレンマゆえに行政側の代弁者の役割を果たし、お題目である各機関の連携強化を叫ぶことで現行制度の安定を維持させる一翼を荷わされる羽目に陥る危険性が伴っています。もともと国民の福祉の向上を荷うはずの業務なのですが、国が打ち出している財政面での給付の制限策を肯定し、それを支える役割としての業務が行政側からの暗黙の要請として課せられています。この厚労省の施策に従って行動すれば、自ずと一定の地位が保障されるであろうという楽観論に成り下がるのは、その置かれた地位からすればやむを得ない部分もあろうかと思われます。つまり、その「資格」とソーシャルワークとしての「仕事」が連結されずにそのニーズの需要だけが高まるという社会的背景が存在するにもかかわらず、相変わらず低賃金、不安定な職種に留まっている現状が横たわっていることが足かせとなっているゆえでしょうが。しかし、このような状況から世の中を捉え返せば、現行の施策の矛盾点を照射することは可能であるはずなのですが、そちらの方向への視点には磨きをかけずに、むしろ現状肯定的で二極化政策を下から支える役割で、その存在意義を確立しようとする方向へ走っています。
福祉が貧困から国民一般を対象とする概念に転換して自己責任を強いられる社会になったとしても、セーフティネットの網から抜け落ちたところの視点が置き去りになっては、19世紀のレッセフェールの教訓は生かされていないでしょう。もう一度最初の視点に立ち戻り、そこから人権や平等意識を育むことで国民の福祉の向上を考えることが、社会福祉士の役割として真に国民から切望されている有り方だと痛感するこの頃です。
困ったときには