近世日本画史上、なかなか重要な作品を描いた日本画家。実見したのは福井県永平寺所蔵。
明治半ばから昭和10年代にかけて活躍した佐藤紫煙(1873ー1939)。16歳で上京、日本画の大家、滝和亭に弟子入りし、紫煙と驪雲山房の号を授かった花鳥画や山水画の評価が高く、明治半ばから昭和10年代に活躍、日本美術協会の理事や幹事、審査委員などを務めた。
写真は『孔雀牡丹図』
プロフィール:
明治7年(1874年)、岩手県生まれ。昭和18年(1943年)歿。
24歳の時、滝和亭に師事、花鳥画を学び、のちに南画を学ぶ。昭和12年(1937年)セントルイス万国博覧会に『孔雀』で銀賞牌を受賞、昭和15年(1940年)東京勧業博覧会に『桜花小禽』で三等賞、文展開設時に『四季平安』で三等賞銅牌を受賞。牡丹や鶴などの花鳥画を得意とする。
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