往年の大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886〜1954)について語り合いましょう。
今年(2004年)で没後半世紀だというのに店頭で新CDが発売されてしまうなど、その存在感はいまだ健在です。
のんびり、まったりとお話できればなぁと思います。
以下のような人にオススメです。
・フルヴェンの演奏会に行ったことのある人。
・フルヴェンのCDは全部持っている人。
・第九はフルヴェンじゃなきゃイヤという人。
・なんだかわかんないけど店員さんに薦められて振ると面食らうとかいうハゲ親父のCD買っちゃった人。
…とにかく興味のある方は是非!
<フルトヴェングラー略歴>
1886年1月25日 ベルリンにて誕生。父親は考古学者で後のベルリン大学学長アドルフ・フルトヴェングラー。
1905年 ブレスラウ市立歌劇場練習指揮者に採用される。
1906年6月 カイム管弦楽団(後のミュンヘン・フィル)を指揮しデビュー。
1906年〜07年 チューリヒ市立歌劇場楽長兼合唱指揮者
1908〜09年 バイエルン王立歌劇場練習指揮者
1910〜11年 シュトラスブルク歌劇場第3指揮者
1911年 リューベック楽友協会指揮者・歌劇場監督就任
1915年 マンハイム宮廷指揮者就任
1917年12月14日 ベルリン・フィル初指揮
1919年〜24年 ウィーン・トンキュンストラー管弦楽団定期演奏会指揮者
1920年 フランクフルト博物館管弦楽団指揮者就任
1921年 ウィーン楽友協会音楽監督就任
1922年 アルトゥール・ニキシュ死亡の後任としてライプツィヒ・ゲヴァントハウス楽長、ベルリン・フィル常任指揮者就任
1927年 フェリックス・ヴァインガルトナーの後任としてウィーン・フィル首席指揮者就任
1928年 ケヴァントハウス楽長辞任、ベルリン音楽総監督就任
1931年 バイロイト音楽祭出演
1933年1月30日 ナチス政権成立、帝国音楽院副総裁就任
1934年 ヒンデミット 交響曲「画家マティス」初演、論文「ヒンデミット事件」発表、公職辞任しエジプト出国を図るもナチスにより阻止される
1935年 宣伝大臣ゲッベルスと会見し活動再開
1936年2月ニューヨーク・フィル監督就任要請(それを知った宣伝相ゲーリングが勝手に「国立歌劇場監督に復帰する」と発表して大騒ぎに…)
1938年3月 ドイツ オーストリアを併合
1939年9月 第2次世界大戦勃発
1945年2月7日 スイスに亡命
1945年5月 ドイツ 連合国に降伏、ナチ協力者として演奏活動停止処分となる
1947年1月 無罪判決、5月25日ベルリン・フィル指揮台に復帰
1948年8月 シカゴ響から常任指揮者就任要請(シカゴ響事件)
1952年7月 肺炎発症、治療薬のせいで聴力低下
1954年 11月30日肺炎のため死去、享年67才