1898年群馬県富岡町生まれ。旧制第二高等学校英法科を卒業後、東京帝国大学文学部に入学、傍ら朝倉文夫に師事して彫刻を学ぶ。1924年から31年まで渡欧。シュルレアリスムの影響を受けて帰国。39年、美術文化協会を創立してその立場を鮮明にする。しかし治安維持法違反の嫌疑により逮捕され、世田谷署に拘置される。以後終戦まで、前衛的な絵画活動をきびしく制限され、戦争協力画制作などに従事する。戦後は、社会風刺や文明批評を盛り込んだ作風で、歴史や神話、ときには地獄にも想を得て、様々なテーマを様々な表現技法によって追求し続け、大作や連作を発表。91年、文化勲章受章。翌年、東京で死去(享年94歳)。
▼写真『敗戦群像』(1948年)
▼『福沢一郎記念館』
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